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和みの風の~おはなし道しるべ~

石炭の記念館を訪ねて その3(福岡県田川市・鞍手町)

 今、向き合っている作品に出てくる石炭採掘の仕事に就いた坑夫たちの話や時代背景を知ろうと
色々と調べを続けているのですが、九州地方は昔から炭坑の数が多かったことから、
福岡県内にある記念館や博物館の展示のおかげで、私も、石炭産業の仕事や歴史について知ることができました。


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 4月26日、田川市石炭・歴史博物館
   27日、鞍手町石炭資料展示場 を訪れました。
 どちらも、(その1)で訪ねた直方市と隣接している地域です。
 筑豊地方と言いますが、この辺りにある山沿いや遠賀川流域には多くの炭坑の坑口がありました。


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      <田川市石炭・歴史博物館>


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 博物館には、三井の田川鉱業所があった当時の資料展示が多いこと、
そして、直方市の記念館にもありましたが、山本作兵衛氏による炭坑記録画の所蔵があるのも特徴です。
 山本作兵衛(1892~1984)は、労働者としての体験ある方でしたが、依頼を受けて、
明治中期~昭和戦中期までの筑豊の炭坑の仕事と実生活を描いた炭坑記録画を描き、
絵とともに解説文を書き込む形で大変貴重な資料です。その他、日記なども数多く残されました。
それらが627点が、ユネスコ世界記憶遺産に登録されています。

 屋外には、炭坑住宅(ハモニカ長屋)の再現や、炭坑で実際に使用されていた大型機械類の展示、
石炭運搬に使用された蒸気機関車がありました。

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 また、博物館の近くには、近代化産業遺産として、立て坑の櫓と、煙突が二本、堂々とその姿を見せています。


   旧三井田川鉱業所伊田竪坑櫓


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    旧三井田川鉱業所伊田竪坑第一・第二煙突

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JR日田彦山線 田川伊田駅
ここから徒歩5分
田川市石炭・歴史博物館
詳しくは、こちら。
http://www.y-sakubei.com/museum/index.html





     <鞍手町石炭資料展示場>

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 鞍手町(くらてまち)には、江戸時代から昭和40年代までの約300年にわたる石炭の歴史があるそうです。
その当時の農村風景の写真展示とともに、石炭について、実際の現場についての資料を見ることができます。
外観のかまぼこのような形の入口。この自動扉が開くとそこは坑道の中といった作りの展示場です。


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 中に入ると、写真やパネル展示が多く、この辺りの歴史についても丁寧に説明されています。
 石炭は実は磨くとこんなに綺麗に。熟練の方の技ですね! これらの加工された石炭は「黒ダイヤ」と呼ばれていたことも?


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 ところが、中でゆっくり資料を見ていたら、突然消灯!
とはいっても、隙間から外の光が入り込んでいるため、暗闇とはいえないのですが、
展示場の中は人がいないので、一人で見学していた私はうろたえてしまって、
その坑道内でそばにいたジオラマの人形と向き合うことに! キャー。。。!
急いで扉のほうへ駆け寄り、扉が開くと電気がパッ!!点いた! そして、外へ出られる。
 あとでわかったのですが、自動扉が開いてから15分そのまま経過すると自動消灯になるようでした。ご注意を!
(入口のほうに書いていてほしかった!!)

 こんなこともあって、私は、「ああ、昔は本当に、暗闇の中での仕事だったのだなぁ」と実感。
(ある意味、坑道内にこの身を置かれた体験をしたことになりますかしらね。)
 かつて、坑夫たちの採掘・運搬の仕事は、坑内で暗闇や落盤、石炭から自然発生するガスなどの恐怖と戦いながら、
毎日、毎度、命がけであったことを、今回の作品やこれまで読んだ資料などから、いっぺんに思い起こされた一瞬でした。


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  JR福北ゆたか線 鞍手町駅より 徒歩15分
鞍手町石炭資料展示場には歴史民俗博物館も隣接しています。




 周作らの生活は、ちょうど、たて坑を掘っているようなものだった。
彼らは、働いても働いても、地の底に沈んで行くばかりだった。かせいでも、かせいでも、地上の光から遠ざかって行くだけだった。
 周作はそれを思うと、ときどき涙ぐんだ。が、地の底におりればおりるほど、彼は一層地上の光がなつかしかった。
あの明るい、広い、自由な光をどうにかして捕まえたいと、あくせく働いた。しかし、どんなに手をのばしても、
どんなに背のびをしてみても、とても手のとどく距離ではなかった。彼の周囲は右も左も、前もうしろも、ただつめたい
岩と土だけだった。のぼるにしては、あまりに高い絶壁だった。
―山本有三/作 小説『生きとし生けるもの』「周作」より―

   5月18日・19日に、三鷹市山本有三記念館(東京都三鷹市)春の朗読コンサートにて読ませていただきます。



# by nagomi-no-kaze | 2018-05-09 00:55 | あなたも行ってみませんか? | Trackback | Comments(0)

石炭の記念館を訪ねて その2(福岡県大牟田市)

 幕末から明治維新へと大きく変わる時代に、日本の産業の近代化が進みました。
具体的には、製鐵、製鋼、造船、石炭産業を中心としたもので、
そのことは、日本全国にある構成遺産群を「明治日本の産業革命遺産」として、
2015年7月にユネスコ世界文化遺産に登録されました。

 九州には、鹿児島・熊本・長崎・佐賀・福岡の各県にその登録遺産があります。
私が現住する福岡県北九州市には、製鐵・製鋼事業の遺産として八幡製鐵所とその関連施設が登録されています。同じ福岡県内の大牟田市はかつて国内最大の炭鉱の街といわれ、
その石炭産業における遺産として三池炭鉱と三池港が登録されています。
 ひとくくりに言うと簡単ですが、そのエリアとしては広大で、炭鉱の坑口施設、石炭を運搬した鉄道と輸出した港湾、それから、炭鉱で働く人々の生活のあとが、残されているのです。
また、国・県・市の登録有形文化財の建物も見学ができます。

 さて、この日私が行けたのは一か所でしたが、(2018.4.13)
こちらの大牟田市石炭産業科学館をご紹介します。

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 JR鹿児島本線と西鉄天神大牟田線が通っている大牟田駅。その駅前の観光センターで
借りたレンタサイクルが便利で、片道約15分ほど走りました。

 有明海を目の前に建つその外観は、まるで宇宙ステーションのような姿です。
 ここでは、三池炭鉱の現代までの歩み、炭鉱作業の技術の進歩、石炭の資源についてを
知ることができます。





【燃える石の発見!】
 日本で石炭が発見された記録は日本書紀に「天智天皇七年、越国献燃、土与燃水」と記されているそうです。そして、福岡県内で最古の石炭発見の記録はここ大牟田に。
1469年(室町時代)、三池郡稲荷村(現在の大牟田市)の農民、伝治衛門が、
黒い石に火が燃え移ったことからの発見が始まりのようです。(『横谷貞明記』より)




【石炭採掘の展示】
 私は、手で採掘していた時代について調べることがあり、抗夫がその時に使用した道具、
坑道のしくみ等の資料展示に見入っていました。写真は、そのごく一部です。

 先に見た直方市では、掘り出された石炭を背負いかごで運ぶ様子がありましたが、
こちらでは「担い棒」を背に、天秤で運ぶようになっていました。立って天秤が担げるくらい余裕がある場所、つまり坑内の運搬状況もかなり違っていたのだろうと想像します。

 

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上)担い棒  下)ツルハシ


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坑内は暗闇ですから、カンテラの灯をたよりにしていました。




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 石炭を掘り当てるために下へ下へ、地上から遠ざかっていきます。
       そして、地下から運搬する方法に工夫が施されていきました。








 館内には、当時の地下400メートル坑内の坑道を体験できるコーナーがありました。
その中では、ツルハシなどで人間が掘っていくのではなく、ドイツからの採炭用カッターなど、大きな機械が導入されて近代的な技術のもとで採掘されていた様子を紹介してくれます。



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【炭鉱で働くひとの声】
 炭鉱の仕事に携わった人たちのインタビューやドキュメンタリーの上映作品を観ました。
当時の仕事の大変さがよく分かる資料映像でした。これをみたら、生き残っている人がいる
ことは不思議なくらいだと感じました。
 身を犠牲にして働く姿、病に倒れてしまった人や今でも後遺症が残る人の姿は、見ていて
心が痛みました。しかも、働いたのは日本人だけではありませんでした。
人員を確保できなくなれば、戦争中の捕虜も含め、外国人が働かされたことも知りました。





 戦後、石炭によるエネルギーの供給は、日本の復興に大きな役割を果たしていきます。
多くの労働者が必要とされ、炭鉱に集まり、次第に大規模な機械化も進みました。
三池炭鉱での石炭の最大出量は1970年の657万トン、その頃の従業員数は3万人をゆうに超えていました。石炭産業は日本の原動力となっていました。
 ところが、時代の波を迎え、次第に低価格の輸入の石炭にとって替わることが進みました。
三池炭鉱は、1997年3月に閉山となりました。










  展示もわかりやすく、見る、聴く、体験もできる、大牟田市石炭産業科学館。
 
  ウェブサイトもあります。どうぞ、ご参考までに。


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大牟田市 石炭産業科学館

http://www.sekitan-omuta.jp/info/index.html


# by nagomi-no-kaze | 2018-05-03 22:59 | あなたも行ってみませんか? | Trackback | Comments(0)

石炭の記念館を訪ねて その1(福岡県直方市)

 九州には、炭鉱の歴史があります。
 5月に朗読させていただく、「周作」(山本有三/作 『生きとし生けるもの』より)では、
 主人公の周作が、九州のとある炭山で生まれるところから話が始まります。

 福岡県内にも、いくつか、炭鉱の歴史を知る手がかりになる場所があります。
 私が訪ねて行けた場所をご紹介しましょう。
 今回は、直方市(のおがたし)にある、石炭記念館です。3月31日に訪れました。
ちょうど桃の花が見事に咲いている頃でした。

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 漢字の読みが難しい地名が多いですね。「直方」は「のおがた」と読みます。
この直方駅は、JRと平成筑豊鉄道が通ってます。 
 駅前には、地元出身の元大関 魁皇関の銅像が立派ですね。
 さて、ここから10分程、歩いて行けます。


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 多賀神社の奥に、その記念館はありました。

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 筑豊炭田(ちくほうたんでん)は、明治初期から昭和51年まで、約100年の間、石炭を産出していました。その数は、約8億トンと言われています。

 この記念館では、炭鉱の歴史についての様々な資料が展示されています。
気さくな館長さんの案内で、当時の仕事の様子、歴史について話しを聴くことができます。

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  本館は明治43年8月に筑豊炭鉱組合の直方会議所として建てられた当時のもので、
 ここで、当時の石炭王たちが集って会議を行っていたのです。

  別館は平成の建物ですが、並ぶと、どことなくバランスが取れているような感じです。
 この中には、私がこれまで見てきた中でもひときわ大きな石炭の塊が展示されていました。
 「塊炭(かいたん)」 サイズは日本最大級です。
 館長さんと一緒に並んでみましたが、さすがにデカいです!

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 有三の作品で主人公の周作は、小学生の頃、体格がよく、優等生でしたが、
塊炭(かいたん)というあだ名で呼ばれていたという話が出てきます。
冷やかしの意味が含まれていましたが、文中には彼のことを「事実、塊炭のような少年であった。」という表現があります。彼の気質が石炭の塊に似ていたのかもしれません。
 

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 屋外には、2台の蒸気機関車。
 こちら(写真上)は、C11 131号 昭和16年から45年まで、石炭輸送に大活躍しました。
館長さんはこれに乗っていたという話を聴きました。整備も、もちろん行っていたそうです。
今では保存のため、きれいに塗装されています。近くで見るとかっこいいですね。

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 もう1台は、コッペル32号。ドイツから輸入した炭鉱専用の機関車だそうです。
昭和51年8月の閉山まで石炭輸送に活躍し走り続けました。

 

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  直方市 石炭記念館
  こちらのサイトに、詳しい情報が載せられています。ご参考までに。
  http://yumenity.jp/sekitan/


# by nagomi-no-kaze | 2018-04-24 23:29 | あなたも行ってみませんか? | Trackback | Comments(0)

【ご案内】 春の朗読コンサート (東京都三鷹市)

 新緑の映える頃となりました。春がどんどん進みますね。
これから迎えるG.W. 行楽のご予定も、お家でのんびりと過ごされる時間も有意義に、
皆さま、どうぞ、お健やかにお過ごしください。

 さて、こちらは三鷹市山本有三記念館。
大正、昭和の劇作家・小説家として活躍、晩年には参議院議員としても功績のある
山本有三氏が、かつて家族とともに暮らした邸宅の一軒で、昭和初期には珍しい西洋館の建物です。
昨年、館の保存のために耐震補強の工事により、一時閉館していましたが、
2018年4月より、リニューアルオープン。 修繕後の記念館を、先週、私も訪れました。

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 こちらで、「春の朗読コンサート」を、5月18・19日の二日間にわたり予定。
2009年より開催の年に一度の会で、第9回目となり、今年も出演させていただきます。
 その初会にご出演くださった横笛奏者の金子弘美さんをお迎えし、久しぶりに、和楽器との共演です。
お時間、そしてご興味がありましたら、お葉書で応募となりますが、詳しくはこちらをご覧ください。
http://mitaka-sportsandculture.or.jp/yuzo/event/20180518/

 締切が近く、4月26日必着! そして、抽選の可能性がございますが、ご了承ください。



 企画展示には作家の遍歴を紹介。それに関して、有三の代表作の一つ、
小説『生きとし生けるもの』より抜粋、「周作」の章を読ませていただこうと思います。

 この小説は、大正15年9月末~12月の初旬まで、東西両朝日新聞に同時に連載されました。
病のため執筆を止めなければならず、未完に終わっているが、あらゆる環境の中で生きる人間の生きざまを
題名の通り「生きとし生けるもの」に通じる何かを伝えたかった、有三氏の思いが伝わってきます。

 主人公 周作は、九州のとある炭坑の中で生まれました。
炭山のある地域の歴史を振り返れば、炭鉱の仕事に携わることは、
体を張って、女性は、はにかみも捨てて、想像を越える重労働。常に、死と隣り合わせ。
それでも、この仕事をしなければ他にすべがなく、生きていけなかった時代がありました。
事実、多くの人間が犠牲になりましたが、石炭は国内外に必要なもので、後に日本の近代化の礎となりました。
この作品には、その時代背景とともに必死に生きる人間が描かれています。

 共演の金子さんにも一緒に考えていただきながら、横笛の音を活かして進めていく練習を重ねています。

 一人でも多くこのお話を聴いていただければ幸いです。







# by nagomi-no-kaze | 2018-04-23 23:14 | 出演します! | Trackback | Comments(0)

ご来場ありがとうございました。和みの風の朗読会

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4月7日(土)に、図書室カフェITOHさんにて「和みの風の朗読会」を開催し、
無事に終演いたしました。
冷たい風吹く中を、ご来場くださいました皆さまに感謝申し上げます。
どうもありがとうございました。


 近年、朗読に親しみを持っていただく機会が様々な場所で増えていると思うこの頃。
今回は初の試み、~二人の読み手によるお届け話~と題しまして、
朗読師の古賀恭子さんをお迎えしました。

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 私は普段は音楽とのセッションがほとんどですが、今回は新鮮な気持ち。
朗読の活動を通して触れる作品や作家について話をしたり、
お互いの間合いを感じて練習する過程も面白かったです。
 お陰様で、たくさんのお客様に聴いていただけたこと、
また、近い距離でお客様の息遣いを感じつつ朗読するのは幸せでした。
(前列に座られた方々には近すぎたかもしれませんね、すみません!)



 プログラムには、
例えば、共通の場所や立場にたった主人公たちのそれぞれの思いを語るような
物語はどうかしら?という古賀さんの提案をいただいてから、
思いめぐらせるうちにある本を思い出しました。
二人で読みながら、その作品集より選んだ作品です。

-『秘密。私と私のあいだの十二話』(メディアファクトリー)より- 

彼女の彼の特別な日
彼の彼女の特別な日 (森 絵都/作)

黒電話A
黒電話B (堀江 敏幸/作)


そして、
-『美人の日本語』山下景子/著(幻冬舎文庫)より-
8つの春の言葉を選び、ご紹介しました。

・四月朔日(わたぬき)
・蘖(ひこばえ)
・花明かり
・青二才
・山笑う
・お洒落
・餞(はなむけ)
・ありがとう


聴き手の皆さまが物語の展開を想像しながら聴いてくださっていました。
作品の面白さや日本語の言葉の響きを楽しんでいただけましたら、幸いです。


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☆ 公演中の写真は、ご来場くださいましたお客様からいただきました。ありがとうございます!




そうそう、本番前、昼食を、カフェ新メニューの「水餃子」を一緒にいただきましたよ。
鹿児島の黒豚さんのグレードが金星で、とっても美味しかったです。
元気をもらって臨めました!
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図書室カフェITOHさんは、翌日の8日が記念日とのこと。
3周年おめでとうございます!!  これからも、人のご縁を繋ぐ集いの場となりますように。

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# by nagomi-no-kaze | 2018-04-10 20:14 | Live Report | Trackback | Comments(0)

頭ヶ島(かしらがしま)天主堂 ~新上五島町~

 

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頭ヶ島の白浜集落にあるこの教会堂は1919年に建てられました。
新上五島町出身の鉄川与助の設計による、石造教会堂です。
彼は数々の教会を手がけましたが、石造りはこの教会のみです。

ファサードの中央にある円形窓、八角形の銅版張のドーム屋根、
そして石積みによる外観が特徴とされています。山の中にある古風な教会の印象です。

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 ごつごつしたままの切石を積んで壁面を仕上げる方法は「ルスティカ様式」と呼ばれています。資金は限られていましたから、
石は海を渡った目の前のロクロ島の砂岩を切り出して使いました。ですから、石の表面はかなりザラザラとした質感でした。
当時島にいた石工とともに、人の手によって採石した砂岩をノミで削り、積み上げていく作業は気の遠くなるようです。
この教会堂は信徒たちの安らぐ場を作るという思いと実践により、十年という歳月をかけて完成しました。

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白浜海岸 眼の前にはロクロ島が見える



 パンフレットを読み、頭ヶ島集落のことを、日本史をもとに当時を振り返ります。

1549年 日本にキリスト教が伝来。
1614年 徳川幕府によって禁教令が発布。
1797年 大村藩と五島藩の間で百姓移住の公式協定が成立。
その後、迫害から逃れてきた潜伏キリシタンたちが五島列島にやってきます。

1854年 日本が開国。

1859年 人の監視を逃れるようにして移住してきた潜伏キリシタンたちが頭ヶ島に住み始めました。
ここは、縄文時代に人が白浜の海岸を使用していたことがその後の発掘調査から分かっていますが、その後は江戸時代まで無人島だったそうです。
自分たちの信仰心をこの地で守るために、彼らは未開の土地を開拓し、集落を形成していきます。

1865年 信徒発見。
1873年 禁教令の撤廃。
1887年 仮の聖堂として、最初の木造教会堂を建設。
1919年 現在の石造教会堂が完成。海岸近くにはカトリック墓地も作られる。


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 現在、五島列島には、信仰を貫いた信徒たちによる建設の教会が50以上、そのうち新上五島町には29の教会があり、
今もなお、信仰が守られています。

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       有川港からは、バスで約35分。(頭ヶ島教会行き)バス停の目の前に教会が見えます。
          地図上⑮が、頭ヶ島天主堂になります。


 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、
かつて日本でキリスト教が禁じられていた中で、長崎と天草地方において、日本の伝統的宗教や一般社会と共生しながら信仰を続けた
潜伏キリシタンの証となる遺産群12か所が挙げられており、頭ヶ島集落とこの天主堂も、その一つに選ばれています。
平成30年7月の世界文化遺産登録を目指しています。

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 現在でもミサや冠婚葬祭、祈りの場として使用されているため、堂内は撮影禁止。お見せできないのが残念ですが、外観とは対照的にパステルカラー調の、特に椿の花をモチーフにした花の装飾が施されていました。窓のステンドグラスは、赤黄青緑桃など明るい色調です。「花の御堂」と呼ばれるにふさわしい内装です。
聖母マリア像は白と空色の衣をまとい、お顔はとても美しく微笑をたたえていました。
静かな祈りが辺りを満たしていました。

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 見学には、事前連絡が必要です。
詳しくは、こちらをご覧ください。

教会群 インフォメーションセンター
https://kyoukaigun.jp/reserve/list.php


# by nagomi-no-kaze | 2018-03-22 17:13 | マタサブロウ旅日記 | Trackback | Comments(0)

鯨と椿の島 新上五島町へ行ってみよう!

 九州の最南端、長崎県五島列島は、長崎港から西におよそ100キロに位置しているそうです。島の数はどのくらいあるのだろうと思って調べたら、
北東側から南西側にわたり、大小合わせて140あまりの島々からなるそうです。

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 遠方から飛行機でのアクセスも可能ですが、長崎県内の交通は船が便利なようで、ここ佐世保港からも、高速船やフェリーで行ける島があります。
これはチャンス!とばかり、港のターミナルにある二つの船会社の窓口で色々尋ね、検討すること約1時間。私の場合、日帰りで佐世保に戻ること(夕方に佐世保を出発し小倉へ戻るため)車の免許がなく移動に不便なことのどちらも非常に厳しい条件でしたが、探せば何とかあるものです。

 今回は佐世保から新上五島町の有川港へ向かえば、島に現存する天主堂の一つは訪ねることができそうでした。
一日の船の便数が少ないため、島内での滞在時間は約3時間半。
その天主堂が港から遠いのですが島内移動のバスに何とか乗れそうです。それにしても20分程の見学時間。迷っている暇はなく、行けるなら決めてしまおうと、
こうして、ようやく行き先が決まりました。

 往路は高速船で約100分。復路はフェリーで約2時間半。早朝でも時間が惜しいので、その組み合わせを選びました。
幸い、同じ船会社で済みましたが、船の種類が違うのでチケットは一括よりもそれぞれの港で買う方が安いと教えてくれました。

チケットは事前に電話やインターネットで予約ができますが、
その受付・お支払いは、当日船が出港する30分前からです。
島内の人は運賃割引適用があるため、島内か島外か、必ず尋ねられます。

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これに乗ります!


 高速船は速いのはよいですが、思った以上に揺れました。雑魚寝で寝てしまおうと思ったのは正解。それでも、昔、関東の神津島で、朝漁のジェットボートに乗せてもらった時の波乗りの揺れを思い出しました。
最初の1時間は何とか体を慣らすつもりで、決して抗わない。そして「起きたら島だった!」となるのが一番です。


 そして、到着した有川港ターミナルは綺麗でした。

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 1階に観光案内所で情報をいただいて周辺の散策もできました。
 ここは鯨と椿の島だったのです。

そういえば、館内には椿の苗木がそこここに置かれていました。
天井を見上げると、鯨の骨がかかっており・・・でっかい!



 バスの時間までに1時間はあったので、歩いていけた観光スポットはこちら。

<海童神社>
鯨の顎の骨を使った鳥居が有名です。これは初めてですね!
海上の安全を祈願する神さまが祀られています。参拝させていただきました。

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<鯨見山>

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江戸時代初期から捕鯨が盛んな頃は、「山見小屋」から有川湾内に鯨が来た事を知らせたり、
出漁の合図を送ることになっていました。
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有川湾では、明治時代まで捕鯨が行われていました。
中でも最高に捕れた年は、元禄11年(1698年)、83.5頭だそうです。
「鯨が一頭捕れると七浦が潤う」と、当時の繁栄ぶりが分かる記述が『江口家文書』に残されているそうです。


と、同時にここは今では、資生堂さんの椿園。
ブランド「TSUBAKI」のオイルに使用されているようですよ。
さすがに花の咲く時期は過ぎてしまいましたが、辺り一面、椿が植樹されていました。

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 さて、これから天主堂へ向かうため、バス停に行く前に、名物「五島うどん」屋さんを見つけました。
まだ準備中で、お昼に戻ってきて食べるつもりでした。たまたま、朝の物産展を開催していて、揚げたての「手作り鯨コロッケ」を買います。一個100円。
すると、お店の女性が、ひとつ穴が開いてしまって商品にならないから、よかったらこれも食べてねと
もう一つ入れてくれました。じゃがいもがホックホク。鯨は思ったより癖がなく美味しかったですよ。
(➡実はこのあと、お昼を食べ損ねる結果となり、この時の2個のコロッケが大変ありがたかったことは言うまでもありません。)
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             気に入りました!ごちそうさま!


# by nagomi-no-kaze | 2018-03-20 19:49 | マタサブロウ旅日記 | Trackback | Comments(0)

佐世保へ行ってみよう!

 二月の長崎訪問に続き、今回は佐世保へやって来ました。
同じ九州、西へ移動してみると、さすが、北九州よりも陽射しが温かでしたよ。

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 元々は、夫の所用で決まっていた佐世保行きに私も便乗し初訪問でしたが、
3月17~18日の両日、ありがたいことに春の青空に恵まれまして、
海・山の、これまたいい景色、人の優しさに触れ、九州の良さをここでも実感です。
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 さて、佐世保駅は、JRの他に、第三セクター方式の松浦鉄道(MRの愛称で親しまれている)が走っています。伊万里、有田を通るなど佐賀へ向かっていくそうです。ホームで写真だけ撮りましたが、車掌さんが、「乗りますか?もう出発しますよ」と声をかけてくれます。(➡申し訳ないですね、乗りませんでした。)

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 駅近くを走る路線バス(西肥バス)がたまたま回送だったのですが、
行き先を示す電子案内版には、普通ならば「回送車」くらいのところ、
そのバスにはこのように表記されていました。
「すみません!回送中です」
謝っている表記は、初めて見ましたね。驚きました。(笑)


 そして、佐世保駅は、日本の最西端の駅であります。
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駅の前にはすぐ港が広がっています。港ターミナルは広く、ショッピングモール、ウェディングホールなども隣接。付近には、市場や商店街が広がっています。
佐世保バーガー店は、駅、港、商店街にいくつか見つけました。
やはり、ここへ来たら食べないと! 焼きたてのハンバーグパテは、香りも味もグッときます。大きくて食べ甲斐がありますね。
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   (2つは食べていませんよ。 
  スペシャルバーガー(右)と、夫が注文したスペシャルチキンバーガー(左) 
    中身まではよく見えませんね。)


ご当地グルメ洋食メニューには、レモンステーキ、ビーフシチューの文字をよく
見かけました。ここでは長崎牛なんですね。
それに、鮮魚の新鮮さはバツ群でしたよ。


 その他には、
今から100年以上も昔、明治40年の夏、5人の詩歌人が九州各地を旅し、新聞に
連載された『五足の靴』。 (今は、新潮文庫出版の本で読むことができます。)
以前、熊本篇で紹介したことがありましたが、
https://wafuu.exblog.jp/25753959/
ここ佐世保も「五足の靴」の訪問先の一つでした。
そのメンバーの一人、与謝野鉄幹が佐世保の街を詩に詠んで残しています。

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 こちらは、カトリック三浦町教会。駅のすぐそばにあります。
丘に建つ姿は青空にくっきりと映えて美しく、しばらく見とれてしまいました。

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 続きは、佐世保港から新上五島町へ。




# by nagomi-no-kaze | 2018-03-19 22:19 | マタサブロウ旅日記 | Trackback | Comments(0)
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