九月も半月が過ぎゆき、2回目の連休がやってきますね。
厳しい夏の暑さを乗り越えたら、急に秋の涼しさが訪れました!


 さて、久しぶりに、朗読会のご案内(in 北九州)です。

今年の和みの風の朗読会。春には女性朗読者二人による会を行いました。
秋は本来のスタイルで朗読と音楽とのセッションを、晩秋に開催します。チラシも出来上がりました。

和みの風の朗読会 ~ピアノと聴く言葉への旅「宮沢賢治」~ 2018.11.23

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宮沢賢治の言葉から、音の響きの面白さ、じんわりと伝わる優しさが感じられます。
時に、難しく、不思議だと、私も読みながら思うことはありますが、
自然のありのままを素直に描いた感覚は、この人にしか書けない文章ではないでしょうか。
これを機に、これからの季節に宮沢賢治の作品を読んでみるきっかけとなれば、私も嬉しく思います。



 ピアノ奏者 湯田美津子さんとの共演です。
湯田さんは長年の音楽活動の節目の年を迎えられ、益々ご活躍です。
小倉の水環境館での「水曜コンサート」(月2回)にもご出演されています。
 昨年七月、和みの風の朗読会にて初共演。『奥さまの耳飾り』・『ほたる』(ともに安房直子作品)に
演奏してくださいました。

よろしければ、この会にもお運びください。 お子様と一緒に聴きたい!という方も歓迎します。
お誘いあわせのうえ、ご予約をいただけましたら幸いです。


ご予約・お問合せは、和みの風(野田)まで。  和みの風のE-Mailが新しくなりました。

 E-Mail: wafuu.noda★gmail.com  (迷惑メール防止のため★印にしています。★を@に変えてください。)

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 日本列島 様々な場所で、自然災害に見舞われて辛いニュースが続きました。
 被災された多くの方々に、心よりお見舞いを申し上げます。
 
 私たちは自然の恵みや感動をいただいていますが、畏敬の念も忘れてはならない。
こうしてみると、どこにいても万全ではないかもしれませんが、気をしっかり持って
今後も無事過ごしていけますようにと願います。

 また、自分ができることで、誰かのお力になれることも考えていきたいと思っています。

 台風発生のニュースもまた聞こえてきています。
そのための備えも必要ですね。私も気をつけますが、皆さまも、どうぞお気をつけください!!




# by nagomi-no-kaze | 2018-09-21 14:54 | 和みの風だより | Trackback | Comments(0)

 今年の八月は厳しい暑さに加えて、台風の多い月でしたね。
 ところで「風鎮祭」というお祭りをご存知でしょうか?
風によって稲やほかの作物が被害を被らないように神さまに祈願する
通称「風よけ祭」で、国内のあちらこちらで行われるようです。

 先週、台風19号と20号が接近している頃、山口県を訪れていました。
私の夫が、以前仕事で大変お世話になった方の住む地元での「風鎮祭」(山口県美祢市秋芳町嘉万)
開催の情報をきっかけに、周遊も兼ねて巡る小さな旅となりました。

 こちらの祭は地元の恵比寿神社の「台風除け祈願」。
二つの台風が接近中のところを、皆さんの祈りが通じたのでしょうか。

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 お祭は、地域の交流を深める場としても欠かせない、大切な行事の一つですね。
たまたまなのか、NHKの番組取材が入りました。 予定されていたイベントも順調に運びます。
アットホームな雰囲気でしたから、よそから来た我々夫婦も楽しみましたよ。

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 今回は美祢(みね)市のほかに、萩市、長門市へ。 秋芳洞、萩の港や笠山からの景観、
元乃隅稲成神社、黄波戸温泉など、ほぼ初訪問のところばかり。萩焼や道の駅でのお買い物やお食事も楽しみました。
 写真ではスケールの大きさをすべてお伝えしきれませんが、二つの観光スポットをご紹介しましょう。


<秋芳洞> 
 日本最大のカルスト地形の秋吉台。その南側にある秋芳洞。日本の鍾乳洞では一番の大きさを誇ります。

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 洞内の温度は通年17℃だそうです。
夏場は特に、天然の涼しさが本当に心地よかったです。クーラーの冷やされ方とは違うんだな。
上着も持参しましたが、この日も暑かったため半袖で十分でした。

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 地下水がゆっくりと石灰の岩肌をとかし、数万年という歳月をかけてでき上がった自然美をいくつも見せてくれます。
その偶然が成した様々な形の鍾乳石にはそれぞれ名前が付けられており、より一層神秘的に思えます。

 鍾乳石の名所ごとに設置されたボタンを押すと、説明が流れます。日本語のほか、英語、中国語、韓国語に対応していますよ。

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黄金柱(4mはあるそうです。)


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「巌窟王」(がんくつおう)は、洞内の守り神のように存在していました。


 車椅子の方は、介助者と一緒に、正面入り口からしばらく進んで、一つ目の「百枚皿」の鍾乳石まで観覧できます。
この「百枚皿」は、洞内にまるで棚田が広がっているようで、なかなか見ごたえがありました。

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 このコースは同じ道を上りと下りで往復し、約一時間くらいかけて歩きます。復路でももう一度、
違った角度から見られる楽しみがあります。(下りのときはどうしても目線が足もとにいきがちですが。)

 正面入り口付近に戻ってきて「冒険コース」も体験しました。懐中電灯を持って岩肌を登ってみると、
上から眺める洞内の景色はこれまた神秘的。この洞窟の大きさ・広さは計り知れないことを感じます。
元気のある人は、折角ですからぜひ体験してみてください。(入洞料とは別途、希望者は備え付けの箱に+300円)

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<元乃隅稲成神社(もとのすみいなりじんじゃ)>
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 元乃隅稲成神社には白狐の神様が祀られています。
そして、奉納された123基の赤い鳥居と、青い空と日本海、緑の山々の色彩が鮮やかです。
山口県内では日本海の美しい風景をを臨める場所が多い中で、ここも名所の一つではないでしょうか。
ここに来られただけでもありがたいと思えるような、目の前に広がるのスケールの大きさに
またもや圧倒される思いがしました。
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この鳥居の下に、更に赤い鳥居が続き、くぐった先には・・・。


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空と海と山の景色が広がっています。

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 神社の開館時間は日の出から日没まで。
日が沈んだら、真っ暗な山道を車で下ることになってしまいますから、運転にはくれぐれもお気をつけて!




# by nagomi-no-kaze | 2018-08-30 00:25 | マタサブロウ旅日記 | Trackback | Comments(0)

 皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
自然がもたらす影響がこんなにも大きいとは・・・。暑さ、豪雨、地震、火山活動、台風等 次々と
思い知らされる今夏の厳しさですね。
 前回は豪雨の次の日の写真でした。 昨日の紫川(小倉北区)付近からお届けしましょう。
まずは一枚。立秋を迎えた日から、空には秋の気配も出てきました。

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 北九州市内では、7月は20日以降、お祭りが週末ごとに続き、この紫川付近もとても賑やかだったのですよ。
今年は台風が祭りに大きく影響しなかったのは幸いでした。本来は開催できるのが当たり前なのでしょうが、
無事に終わると、どこかホッとした心持ちになりました。

私は「小倉祇園太鼓」(7月20日~22日)そして、初めての「わっしょい百万祭り」(8月5日~6日)を楽しみました。



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「わっしょい百万祭り」では、市内各地の山笠(山車)が大集合!

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昨年は叶わなかった二種の踊りにもようやく参加することができて、嬉しかったです。
踊らな損、損!は、本当です。(笑)

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 そして今日は終戦記念日。 日本武道館での追悼式典では、今上天皇・皇后両陛下のお言葉を
お聞きしたいと思って、自宅のテレビで見ておりました。
先の大戦で尊い命を失った方々の御冥福をお祈りし、これからも平和な世の中が続くようにと願います。



 ところで、今年は台風が多いと聞いてはいましたが、次々にやってきますね。
九州はやはり台風の通り道ですわ。影響を受けて、今日の空模様は様々に移り変わっていますよ。


 話は前後しますが、前日は台風が来る前に色々済ませておこうと思い、また気晴らしもしたくなって近くへ外出。
お盆休みで帰省されているのでしょう。人出もあり、家族連れのお出かけ風景を見かけるのも楽しいです。
お茶を飲むにも席が混み合っている中、屋内の窓辺の席がちょうど空きました。
小倉城近くの好きな風景で、暑い午後3時頃、人通りを避けて撮影。

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 八月も半ばを迎えて今年の活動を思い返してみれば、前半は、朗読公演以外にしていたことは、
主に、これまでの振り返りや、調べ物をするのに費やす時間が多く、そのための遠出もありましたね。
そして、北九州市内でのボランティア活動、ボイストレーニング、能楽のお稽古も続けております。
後半は、東京都内、北九州市内での朗読出演の予定もあり、外出が更に増えますが、
また新たな作品との出会い、聴きに来てくださるお客様との出会いを楽しみにひとつひとつ進めて、
務めていきたいと思っています。 これからも、応援をよろしくお願いいたします。

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# by nagomi-no-kaze | 2018-08-15 18:33 | 和みの風だより | Trackback | Comments(0)

七月を迎えました。今日は七夕ですね・・・。

 九州北部豪雨という大雨による災害からちょうど一年が経ちます。
当時、福岡県、大分県では一部の地域が特に被害が大きかったので、
普通の生活を取り戻すために、この一年間は大変な時間を過ごしてきたと思います。

 そのようなことを思い浮かべていたところ、今年もまた大雨による長雨。
しかも、昨年より広範囲にわたり、長崎県、佐賀県、福岡県を中心に
特別警報が出てしまいました。それが昨日、七月六日。
今日は中国地方、関西へと雨雲が走り、次々に、各地に影響が出ています。


 自然による災害はどこにいても起こりうる。
そんな気がしてなりません。

 避難所へ逃げてきたある女性がインタビューに応じていた話のなかに、
「他人に笑われてもいいから、私は避難しなければと思いました。」
というコメントを聞いたとき、その通りだと思いました。

 私は北九州市にいて、幸いにも、
今回どこかへ避難することはありませんでしたが、
自分の身の安全を守るための判断は、
最後は自分の勘を信じて、決めて、行動したいと思いました。


 報道では、こちらの紫川(北九州市小倉北区)の様子も映し出されました。
氾濫危険水位に達していましたね。南のほうではもっと大変なことになっていたと聞きます。
 この辺りはいつも散歩したり、見ている川です。

一日経って、一旦雨が止んで、今朝の川の水の色は土色・・・。

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 この川だけではありません。
更にひどいことには、市内のあちらこちらで川の水が道路へ冠水。
そのためでしょう、床下・床上浸水の様子があったそうです。当然、地盤にも影響していることでしょう。


 この大雨による災害で、尊い命を奪われた方々の御冥福をお祈りします。
 未だ不明の方々がいらっしゃいますので、一人でも早く救出されることを強く願っています。

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そして、いつもの紫川に戻ってください。


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# by nagomi-no-kaze | 2018-07-07 16:24 | 今日のできごと | Trackback | Comments(0)

 第9回目を迎え、5月18日・19日の両日に開催されて無事に終演しました。
この度も応募多数のため抽選となってしまいましたが、
ご応募いただいた皆様に心より感謝しています。どうもありがとうございました。

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横笛奏者の金子弘美さんと

 



三鷹市山本有三記念館。
外観も内装も立派な、素晴らしい西洋館建築です。

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お庭に面しているほうは、このような外観です。


 昭和初期には、山本有三がここで家族とともに約11年間生活を送りました。
代表作『路傍の石』を執筆されたのもこの家に住んでいた時のことでした。
大きな木々のある庭に囲まれて、季節柄、深緑と鶯の美しい鳴き声に包まれます。
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 朗読コンサートは、一階受付の目の前にある、こちらのお部屋で行います。
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毎度、音楽家をお一人お招きし、朗読する有三作品にも一緒に関わっていただきます。
今年は、横笛奏者の金子弘美さん。初回に次いで2回目のご出演。
横笛の音色は館内にとてもよく響き、遠音も綺麗に通ります。
調子の異なる篠笛を数本、能管、龍笛と、ご用意してくださいました。
能管は独特の音階があり、また龍笛と姿はとてもよく似ていますが、楽器を見せ、
音色も聴かせてもらいながらの紹介はうれしいものです。
(プログラムでは朗読作品のあとに独奏していただきました。)

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 『生きとし生けるもの』は有三39歳の時の作品で、初の長編小説。
大正15年9月~12月にかけて、東西朝日新聞に同時に連載されました。
学芸員さんからの提案も受け、自分でも挑戦したいと思い、冒頭の章「周作」を選びました。
 この章は9つの話で構成されており、九州のとある炭坑の坑内で周作が生まれたことから始まります。
少年時代の思い出から、12歳には坑夫として働き始めた周作の18歳頃までを描いています。
彼の性格の話、坑夫の仕事において最も恐ろしかった出来事についてが中心となり、
細かい描写、喜怒哀楽の巧みな表現が胸に響きます。
そして、周作が手に届かないと思っていた勉学の道への入口に進めることになったところで
この章は閉じます。(ここまでを聴いていただくのに約45分かかります。)
 今回は炭坑の専門用語とその時代背景から、耳慣れない言葉が多いと思いました。そこで、
プログラムにはその解説と、時間に限りがあるため楽器の説明を記載してもらいました。
また、朗読の前に、学芸員さんに簡単にご説明もお願いし、快くお引き受けしてくださり、大変助かりました。
ご来館の皆さまにも、お手元でこれを見ながら、聴いていただきました。


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 横笛奏者の金子さんは、物語のシーンに音楽をどのように組み込んでいくか、
相当悩まれたことと思い、心配しましたが、ある時
「主人公の周作を救いたいと思います。」と思ってくださったことが、私は心強かったです。
ことに、朗読とかけ合う緊迫したシーンには能管の持つその不思議な音階から、
人々の不安、ため息、そして激しい心情が生まれ、言葉以上のものが表現されたのは
音楽の力、そして金子さんの演奏の素晴らしさですね。
とても集中力のいる内容でしたが、なかなか出来ない作品に、また今回の朗読と音楽の構成に、
挑戦できたことは、めったにない有難い機会となりました。とても嬉しいです。




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直前まで音合わせの確認とお打ち合わせ



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 この時期、大きな木々の深緑と、鶯の美しい鳴き声に包まれた記念館。
自然と共生している有三記念館でお届けできることへの喜びは大きく、
共感していただける聴き手の皆さま、スタッフの皆さまに感謝の気持ちでいっぱいです。
また、応援してくださった皆さまにも、本当に、本当に、ありがとうございました。


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三鷹市山本有三記念館
http://mitaka-sportsandculture.or.jp/yuzo/



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# by nagomi-no-kaze | 2018-05-22 11:10 | Live Report | Trackback | Comments(0)

 今、向き合っている作品に出てくる石炭採掘の仕事に就いた坑夫たちの話や時代背景を知ろうと
色々と調べを続けているのですが、九州地方は昔から炭坑の数が多かったことから、
福岡県内にある記念館や博物館の展示のおかげで、私も、石炭産業の仕事や歴史について知ることができました。


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 4月26日、田川市石炭・歴史博物館
   27日、鞍手町石炭資料展示場 を訪れました。
 どちらも、(その1)で訪ねた直方市と隣接している地域です。
 筑豊地方と言いますが、この辺りにある山沿いや遠賀川流域には多くの炭坑の坑口がありました。


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      <田川市石炭・歴史博物館>


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 博物館には、三井の田川鉱業所があった当時の資料展示が多いこと、
そして、直方市の記念館にもありましたが、山本作兵衛氏による炭坑記録画の所蔵があるのも特徴です。
 山本作兵衛(1892~1984)は、労働者としての体験ある方でしたが、依頼を受けて、
明治中期~昭和戦中期までの筑豊の炭坑の仕事と実生活を描いた炭坑記録画を描き、
絵とともに解説文を書き込む形で大変貴重な資料です。その他、日記なども数多く残されました。
それらが627点が、ユネスコ世界記憶遺産に登録されています。

 屋外には、炭坑住宅(ハモニカ長屋)の再現や、炭坑で実際に使用されていた大型機械類の展示、
石炭運搬に使用された蒸気機関車がありました。

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 また、博物館の近くには、近代化産業遺産として、立て坑の櫓と、煙突が二本、堂々とその姿を見せています。


   旧三井田川鉱業所伊田竪坑櫓


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    旧三井田川鉱業所伊田竪坑第一・第二煙突

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JR日田彦山線 田川伊田駅
ここから徒歩5分
田川市石炭・歴史博物館
詳しくは、こちら。
http://www.y-sakubei.com/museum/index.html





     <鞍手町石炭資料展示場>

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 鞍手町(くらてまち)には、江戸時代から昭和40年代までの約300年にわたる石炭の歴史があるそうです。
その当時の農村風景の写真展示とともに、石炭について、実際の現場についての資料を見ることができます。
外観のかまぼこのような形の入口。この自動扉が開くとそこは坑道の中といった作りの展示場です。


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 中に入ると、写真やパネル展示が多く、この辺りの歴史についても丁寧に説明されています。
 石炭は実は磨くとこんなに綺麗に。熟練の方の技ですね! これらの加工された石炭は「黒ダイヤ」と呼ばれていたことも?


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 ところが、中でゆっくり資料を見ていたら、突然消灯!
とはいっても、隙間から外の光が入り込んでいるため、暗闇とはいえないのですが、
展示場の中は人がいないので、一人で見学していた私はうろたえてしまって、
その坑道内でそばにいたジオラマの人形と向き合うことに! キャー。。。!
急いで扉のほうへ駆け寄り、扉が開くと電気がパッ!!点いた! そして、外へ出られる。
 あとでわかったのですが、自動扉が開いてから15分そのまま経過すると自動消灯になるようでした。ご注意を!
(入口のほうに書いていてほしかった!!)

 こんなこともあって、私は、「ああ、昔は本当に、暗闇の中での仕事だったのだなぁ」と実感。
(ある意味、坑道内にこの身を置かれた体験をしたことになりますかしらね。)
 かつて、坑夫たちの採掘・運搬の仕事は、坑内で暗闇や落盤、石炭から自然発生するガスなどの恐怖と戦いながら、
毎日、毎度、命がけであったことを、今回の作品やこれまで読んだ資料などから、いっぺんに思い起こされた一瞬でした。


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  JR福北ゆたか線 鞍手町駅より 徒歩15分
鞍手町石炭資料展示場には歴史民俗博物館も隣接しています。




 周作らの生活は、ちょうど、たて坑を掘っているようなものだった。
彼らは、働いても働いても、地の底に沈んで行くばかりだった。かせいでも、かせいでも、地上の光から遠ざかって行くだけだった。
 周作はそれを思うと、ときどき涙ぐんだ。が、地の底におりればおりるほど、彼は一層地上の光がなつかしかった。
あの明るい、広い、自由な光をどうにかして捕まえたいと、あくせく働いた。しかし、どんなに手をのばしても、
どんなに背のびをしてみても、とても手のとどく距離ではなかった。彼の周囲は右も左も、前もうしろも、ただつめたい
岩と土だけだった。のぼるにしては、あまりに高い絶壁だった。
―山本有三/作 小説『生きとし生けるもの』「周作」より―

   5月18日・19日に、三鷹市山本有三記念館(東京都三鷹市)春の朗読コンサートにて読ませていただきます。



# by nagomi-no-kaze | 2018-05-09 00:55 | あなたも行ってみませんか? | Trackback | Comments(0)

 幕末から明治維新へと大きく変わる時代に、日本の産業の近代化が進みました。
具体的には、製鐵、製鋼、造船、石炭産業を中心としたもので、
そのことは、日本全国にある構成遺産群を「明治日本の産業革命遺産」として、
2015年7月にユネスコ世界文化遺産に登録されました。

 九州には、鹿児島・熊本・長崎・佐賀・福岡の各県にその登録遺産があります。
私が現住する福岡県北九州市には、製鐵・製鋼事業の遺産として八幡製鐵所とその関連施設が登録されています。同じ福岡県内の大牟田市はかつて国内最大の炭鉱の街といわれ、
その石炭産業における遺産として三池炭鉱と三池港が登録されています。
 ひとくくりに言うと簡単ですが、そのエリアとしては広大で、炭鉱の坑口施設、石炭を運搬した鉄道と輸出した港湾、それから、炭鉱で働く人々の生活のあとが、残されているのです。
また、国・県・市の登録有形文化財の建物も見学ができます。

 さて、この日私が行けたのは一か所でしたが、(2018.4.13)
こちらの大牟田市石炭産業科学館をご紹介します。

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 JR鹿児島本線と西鉄天神大牟田線が通っている大牟田駅。その駅前の観光センターで
借りたレンタサイクルが便利で、片道約15分ほど走りました。

 有明海を目の前に建つその外観は、まるで宇宙ステーションのような姿です。
 ここでは、三池炭鉱の現代までの歩み、炭鉱作業の技術の進歩、石炭の資源についてを
知ることができます。





【燃える石の発見!】
 日本で石炭が発見された記録は日本書紀に「天智天皇七年、越国献燃、土与燃水」と記されているそうです。そして、福岡県内で最古の石炭発見の記録はここ大牟田に。
1469年(室町時代)、三池郡稲荷村(現在の大牟田市)の農民、伝治衛門が、
黒い石に火が燃え移ったことからの発見が始まりのようです。(『横谷貞明記』より)




【石炭採掘の展示】
 私は、手で採掘していた時代について調べることがあり、抗夫がその時に使用した道具、
坑道のしくみ等の資料展示に見入っていました。写真は、そのごく一部です。

 先に見た直方市では、掘り出された石炭を背負いかごで運ぶ様子がありましたが、
こちらでは「担い棒」を背に、天秤で運ぶようになっていました。立って天秤が担げるくらい余裕がある場所、つまり坑内の運搬状況もかなり違っていたのだろうと想像します。

 

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上)担い棒  下)ツルハシ


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坑内は暗闇ですから、カンテラの灯をたよりにしていました。




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 石炭を掘り当てるために下へ下へ、地上から遠ざかっていきます。
       そして、地下から運搬する方法に工夫が施されていきました。








 館内には、当時の地下400メートル坑内の坑道を体験できるコーナーがありました。
その中では、ツルハシなどで人間が掘っていくのではなく、ドイツからの採炭用カッターなど、大きな機械が導入されて近代的な技術のもとで採掘されていた様子を紹介してくれます。



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【炭鉱で働くひとの声】
 炭鉱の仕事に携わった人たちのインタビューやドキュメンタリーの上映作品を観ました。
当時の仕事の大変さがよく分かる資料映像でした。これをみたら、生き残っている人がいる
ことは不思議なくらいだと感じました。
 身を犠牲にして働く姿、病に倒れてしまった人や今でも後遺症が残る人の姿は、見ていて
心が痛みました。しかも、働いたのは日本人だけではありませんでした。
人員を確保できなくなれば、戦争中の捕虜も含め、外国人が働かされたことも知りました。





 戦後、石炭によるエネルギーの供給は、日本の復興に大きな役割を果たしていきます。
多くの労働者が必要とされ、炭鉱に集まり、次第に大規模な機械化も進みました。
三池炭鉱での石炭の最大出量は1970年の657万トン、その頃の従業員数は3万人をゆうに超えていました。石炭産業は日本の原動力となっていました。
 ところが、時代の波を迎え、次第に低価格の輸入の石炭にとって替わることが進みました。
三池炭鉱は、1997年3月に閉山となりました。










  展示もわかりやすく、見る、聴く、体験もできる、大牟田市石炭産業科学館。
 
  ウェブサイトもあります。どうぞ、ご参考までに。


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大牟田市 石炭産業科学館

http://www.sekitan-omuta.jp/info/index.html


# by nagomi-no-kaze | 2018-05-03 22:59 | あなたも行ってみませんか? | Trackback | Comments(0)

 九州には、炭鉱の歴史があります。
 5月に朗読させていただく、「周作」(山本有三/作 『生きとし生けるもの』より)では、
 主人公の周作が、九州のとある炭山で生まれるところから話が始まります。

 福岡県内にも、いくつか、炭鉱の歴史を知る手がかりになる場所があります。
 私が訪ねて行けた場所をご紹介しましょう。
 今回は、直方市(のおがたし)にある、石炭記念館です。3月31日に訪れました。
ちょうど桃の花が見事に咲いている頃でした。

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 漢字の読みが難しい地名が多いですね。「直方」は「のおがた」と読みます。
この直方駅は、JRと平成筑豊鉄道が通ってます。 
 駅前には、地元出身の元大関 魁皇関の銅像が立派ですね。
 さて、ここから10分程、歩いて行けます。


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 多賀神社の奥に、その記念館はありました。

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 筑豊炭田(ちくほうたんでん)は、明治初期から昭和51年まで、約100年の間、石炭を産出していました。その数は、約8億トンと言われています。

 この記念館では、炭鉱の歴史についての様々な資料が展示されています。
気さくな館長さんの案内で、当時の仕事の様子、歴史について話しを聴くことができます。

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  本館は明治43年8月に筑豊炭鉱組合の直方会議所として建てられた当時のもので、
 ここで、当時の石炭王たちが集って会議を行っていたのです。

  別館は平成の建物ですが、並ぶと、どことなくバランスが取れているような感じです。
 この中には、私がこれまで見てきた中でもひときわ大きな石炭の塊が展示されていました。
 「塊炭(かいたん)」 サイズは日本最大級です。
 館長さんと一緒に並んでみましたが、さすがにデカいです!

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 有三の作品で主人公の周作は、小学生の頃、体格がよく、優等生でしたが、
塊炭(かいたん)というあだ名で呼ばれていたという話が出てきます。
冷やかしの意味が含まれていましたが、文中には彼のことを「事実、塊炭のような少年であった。」という表現があります。彼の気質が石炭の塊に似ていたのかもしれません。
 

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 屋外には、2台の蒸気機関車。
 こちら(写真上)は、C11 131号 昭和16年から45年まで、石炭輸送に大活躍しました。
館長さんはこれに乗っていたという話を聴きました。整備も、もちろん行っていたそうです。
今では保存のため、きれいに塗装されています。近くで見るとかっこいいですね。

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 もう1台は、コッペル32号。ドイツから輸入した炭鉱専用の機関車だそうです。
昭和51年8月の閉山まで石炭輸送に活躍し走り続けました。

 

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  直方市 石炭記念館
  こちらのサイトに、詳しい情報が載せられています。ご参考までに。
  http://yumenity.jp/sekitan/


# by nagomi-no-kaze | 2018-04-24 23:29 | あなたも行ってみませんか? | Trackback | Comments(0)

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