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和みの風の~おはなし道しるべ~

<   2018年 05月 ( 3 )   > この月の画像一覧

三鷹市山本有三記念館 春の朗読コンサート終演しました。

 第9回目を迎え、5月18日・19日の両日に開催されて無事に終演しました。
この度も応募多数のため抽選となってしまいましたが、
ご応募いただいた皆様に心より感謝しています。どうもありがとうございました。

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横笛奏者の金子弘美さんと

 



三鷹市山本有三記念館。
外観も内装も立派な、素晴らしい西洋館建築です。

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お庭に面しているほうは、このような外観です。


 昭和初期には、山本有三がここで家族とともに約11年間生活を送りました。
代表作『路傍の石』を執筆されたのもこの家に住んでいた時のことでした。
大きな木々のある庭に囲まれて、季節柄、深緑と鶯の美しい鳴き声に包まれます。
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 朗読コンサートは、一階受付の目の前にある、こちらのお部屋で行います。
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毎度、音楽家をお一人お招きし、朗読する有三作品にも一緒に関わっていただきます。
今年は、横笛奏者の金子弘美さん。初回に次いで2回目のご出演。
横笛の音色は館内にとてもよく響き、遠音も綺麗に通ります。
調子の異なる篠笛を数本、能管、龍笛と、ご用意してくださいました。
能管は独特の音階があり、また龍笛と姿はとてもよく似ていますが、楽器を見せ、
音色も聴かせてもらいながらの紹介はうれしいものです。
(プログラムでは朗読作品のあとに独奏していただきました。)

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 『生きとし生けるもの』は有三39歳の時の作品で、初の長編小説。
大正15年9月~12月にかけて、東西朝日新聞に同時に連載されました。
学芸員さんからの提案も受け、自分でも挑戦したいと思い、冒頭の章「周作」を選びました。
 この章は9つの話で構成されており、九州のとある炭坑の坑内で周作が生まれたことから始まります。
少年時代の思い出から、12歳には坑夫として働き始めた周作の18歳頃までを描いています。
彼の性格の話、坑夫の仕事において最も恐ろしかった出来事についてが中心となり、
細かい描写、喜怒哀楽の巧みな表現が胸に響きます。
そして、周作が手に届かないと思っていた勉学の道への入口に進めることになったところで
この章は閉じます。(ここまでを聴いていただくのに約45分かかります。)
 今回は炭坑の専門用語とその時代背景から、耳慣れない言葉が多いと思いました。そこで、
プログラムにはその解説と、時間に限りがあるため楽器の説明を記載してもらいました。
また、朗読の前に、学芸員さんに簡単にご説明もお願いし、快くお引き受けしてくださり、大変助かりました。
ご来館の皆さまにも、お手元でこれを見ながら、聴いていただきました。


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 横笛奏者の金子さんは、物語のシーンに音楽をどのように組み込んでいくか、
相当悩まれたことと思い、心配しましたが、ある時
「主人公の周作を救いたいと思います。」と思ってくださったことが、私は心強かったです。
ことに、朗読とかけ合う緊迫したシーンには能管の持つその不思議な音階から、
人々の不安、ため息、そして激しい心情が生まれ、言葉以上のものが表現されたのは
音楽の力、そして金子さんの演奏の素晴らしさですね。
とても集中力のいる内容でしたが、なかなか出来ない作品に、また今回の朗読と音楽の構成に、
挑戦できたことは、めったにない有難い機会となりました。とても嬉しいです。




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直前まで音合わせの確認とお打ち合わせ



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 この時期、大きな木々の深緑と、鶯の美しい鳴き声に包まれた記念館。
自然と共生している有三記念館でお届けできることへの喜びは大きく、
共感していただける聴き手の皆さま、スタッフの皆さまに感謝の気持ちでいっぱいです。
また、応援してくださった皆さまにも、本当に、本当に、ありがとうございました。


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三鷹市山本有三記念館
http://mitaka-sportsandculture.or.jp/yuzo/



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by nagomi-no-kaze | 2018-05-22 11:10 | Live Report | Trackback | Comments(0)

石炭の記念館を訪ねて その3(福岡県田川市・鞍手町)

 今、向き合っている作品に出てくる石炭採掘の仕事に就いた坑夫たちの話や時代背景を知ろうと
色々と調べを続けているのですが、九州地方は昔から炭坑の数が多かったことから、
福岡県内にある記念館や博物館の展示のおかげで、私も、石炭産業の仕事や歴史について知ることができました。


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 4月26日、田川市石炭・歴史博物館
   27日、鞍手町石炭資料展示場 を訪れました。
 どちらも、(その1)で訪ねた直方市と隣接している地域です。
 筑豊地方と言いますが、この辺りにある山沿いや遠賀川流域には多くの炭坑の坑口がありました。


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      <田川市石炭・歴史博物館>


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 博物館には、三井の田川鉱業所があった当時の資料展示が多いこと、
そして、直方市の記念館にもありましたが、山本作兵衛氏による炭坑記録画の所蔵があるのも特徴です。
 山本作兵衛(1892~1984)は、労働者としての体験ある方でしたが、依頼を受けて、
明治中期~昭和戦中期までの筑豊の炭坑の仕事と実生活を描いた炭坑記録画を描き、
絵とともに解説文を書き込む形で大変貴重な資料です。その他、日記なども数多く残されました。
それらが627点が、ユネスコ世界記憶遺産に登録されています。

 屋外には、炭坑住宅(ハモニカ長屋)の再現や、炭坑で実際に使用されていた大型機械類の展示、
石炭運搬に使用された蒸気機関車がありました。

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 また、博物館の近くには、近代化産業遺産として、立て坑の櫓と、煙突が二本、堂々とその姿を見せています。


   旧三井田川鉱業所伊田竪坑櫓


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    旧三井田川鉱業所伊田竪坑第一・第二煙突

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JR日田彦山線 田川伊田駅
ここから徒歩5分
田川市石炭・歴史博物館
詳しくは、こちら。
http://www.y-sakubei.com/museum/index.html





     <鞍手町石炭資料展示場>

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 鞍手町(くらてまち)には、江戸時代から昭和40年代までの約300年にわたる石炭の歴史があるそうです。
その当時の農村風景の写真展示とともに、石炭について、実際の現場についての資料を見ることができます。
外観のかまぼこのような形の入口。この自動扉が開くとそこは坑道の中といった作りの展示場です。


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 中に入ると、写真やパネル展示が多く、この辺りの歴史についても丁寧に説明されています。
 石炭は実は磨くとこんなに綺麗に。熟練の方の技ですね! これらの加工された石炭は「黒ダイヤ」と呼ばれていたことも?


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 ところが、中でゆっくり資料を見ていたら、突然消灯!
とはいっても、隙間から外の光が入り込んでいるため、暗闇とはいえないのですが、
展示場の中は人がいないので、一人で見学していた私はうろたえてしまって、
その坑道内でそばにいたジオラマの人形と向き合うことに! キャー。。。!
急いで扉のほうへ駆け寄り、扉が開くと電気がパッ!!点いた! そして、外へ出られる。
 あとでわかったのですが、自動扉が開いてから15分そのまま経過すると自動消灯になるようでした。ご注意を!
(入口のほうに書いていてほしかった!!)

 こんなこともあって、私は、「ああ、昔は本当に、暗闇の中での仕事だったのだなぁ」と実感。
(ある意味、坑道内にこの身を置かれた体験をしたことになりますかしらね。)
 かつて、坑夫たちの採掘・運搬の仕事は、坑内で暗闇や落盤、石炭から自然発生するガスなどの恐怖と戦いながら、
毎日、毎度、命がけであったことを、今回の作品やこれまで読んだ資料などから、いっぺんに思い起こされた一瞬でした。


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  JR福北ゆたか線 鞍手町駅より 徒歩15分
鞍手町石炭資料展示場には歴史民俗博物館も隣接しています。




 周作らの生活は、ちょうど、たて坑を掘っているようなものだった。
彼らは、働いても働いても、地の底に沈んで行くばかりだった。かせいでも、かせいでも、地上の光から遠ざかって行くだけだった。
 周作はそれを思うと、ときどき涙ぐんだ。が、地の底におりればおりるほど、彼は一層地上の光がなつかしかった。
あの明るい、広い、自由な光をどうにかして捕まえたいと、あくせく働いた。しかし、どんなに手をのばしても、
どんなに背のびをしてみても、とても手のとどく距離ではなかった。彼の周囲は右も左も、前もうしろも、ただつめたい
岩と土だけだった。のぼるにしては、あまりに高い絶壁だった。
―山本有三/作 小説『生きとし生けるもの』「周作」より―

   5月18日・19日に、三鷹市山本有三記念館(東京都三鷹市)春の朗読コンサートにて読ませていただきます。



by nagomi-no-kaze | 2018-05-09 00:55 | あなたも行ってみませんか? | Trackback | Comments(0)

石炭の記念館を訪ねて その2(福岡県大牟田市)

 幕末から明治維新へと大きく変わる時代に、日本の産業の近代化が進みました。
具体的には、製鐵、製鋼、造船、石炭産業を中心としたもので、
そのことは、日本全国にある構成遺産群を「明治日本の産業革命遺産」として、
2015年7月にユネスコ世界文化遺産に登録されました。

 九州には、鹿児島・熊本・長崎・佐賀・福岡の各県にその登録遺産があります。
私が現住する福岡県北九州市には、製鐵・製鋼事業の遺産として八幡製鐵所とその関連施設が登録されています。同じ福岡県内の大牟田市はかつて国内最大の炭鉱の街といわれ、
その石炭産業における遺産として三池炭鉱と三池港が登録されています。
 ひとくくりに言うと簡単ですが、そのエリアとしては広大で、炭鉱の坑口施設、石炭を運搬した鉄道と輸出した港湾、それから、炭鉱で働く人々の生活のあとが、残されているのです。
また、国・県・市の登録有形文化財の建物も見学ができます。

 さて、この日私が行けたのは一か所でしたが、(2018.4.13)
こちらの大牟田市石炭産業科学館をご紹介します。

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 JR鹿児島本線と西鉄天神大牟田線が通っている大牟田駅。その駅前の観光センターで
借りたレンタサイクルが便利で、片道約15分ほど走りました。

 有明海を目の前に建つその外観は、まるで宇宙ステーションのような姿です。
 ここでは、三池炭鉱の現代までの歩み、炭鉱作業の技術の進歩、石炭の資源についてを
知ることができます。





【燃える石の発見!】
 日本で石炭が発見された記録は日本書紀に「天智天皇七年、越国献燃、土与燃水」と記されているそうです。そして、福岡県内で最古の石炭発見の記録はここ大牟田に。
1469年(室町時代)、三池郡稲荷村(現在の大牟田市)の農民、伝治衛門が、
黒い石に火が燃え移ったことからの発見が始まりのようです。(『横谷貞明記』より)




【石炭採掘の展示】
 私は、手で採掘していた時代について調べることがあり、抗夫がその時に使用した道具、
坑道のしくみ等の資料展示に見入っていました。写真は、そのごく一部です。

 先に見た直方市では、掘り出された石炭を背負いかごで運ぶ様子がありましたが、
こちらでは「担い棒」を背に、天秤で運ぶようになっていました。立って天秤が担げるくらい余裕がある場所、つまり坑内の運搬状況もかなり違っていたのだろうと想像します。

 

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上)担い棒  下)ツルハシ


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坑内は暗闇ですから、カンテラの灯をたよりにしていました。




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 石炭を掘り当てるために下へ下へ、地上から遠ざかっていきます。
       そして、地下から運搬する方法に工夫が施されていきました。








 館内には、当時の地下400メートル坑内の坑道を体験できるコーナーがありました。
その中では、ツルハシなどで人間が掘っていくのではなく、ドイツからの採炭用カッターなど、大きな機械が導入されて近代的な技術のもとで採掘されていた様子を紹介してくれます。



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【炭鉱で働くひとの声】
 炭鉱の仕事に携わった人たちのインタビューやドキュメンタリーの上映作品を観ました。
当時の仕事の大変さがよく分かる資料映像でした。これをみたら、生き残っている人がいる
ことは不思議なくらいだと感じました。
 身を犠牲にして働く姿、病に倒れてしまった人や今でも後遺症が残る人の姿は、見ていて
心が痛みました。しかも、働いたのは日本人だけではありませんでした。
人員を確保できなくなれば、戦争中の捕虜も含め、外国人が働かされたことも知りました。





 戦後、石炭によるエネルギーの供給は、日本の復興に大きな役割を果たしていきます。
多くの労働者が必要とされ、炭鉱に集まり、次第に大規模な機械化も進みました。
三池炭鉱での石炭の最大出量は1970年の657万トン、その頃の従業員数は3万人をゆうに超えていました。石炭産業は日本の原動力となっていました。
 ところが、時代の波を迎え、次第に低価格の輸入の石炭にとって替わることが進みました。
三池炭鉱は、1997年3月に閉山となりました。










  展示もわかりやすく、見る、聴く、体験もできる、大牟田市石炭産業科学館。
 
  ウェブサイトもあります。どうぞ、ご参考までに。


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大牟田市 石炭産業科学館

http://www.sekitan-omuta.jp/info/index.html


by nagomi-no-kaze | 2018-05-03 22:59 | あなたも行ってみませんか? | Trackback | Comments(0)
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