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カテゴリ:マタサブロウ旅日記( 53 )

 今年の八月は厳しい暑さに加えて、台風の多い月でしたね。
 ところで「風鎮祭」というお祭りをご存知でしょうか?
風によって稲やほかの作物が被害を被らないように神さまに祈願する
通称「風よけ祭」で、国内のあちらこちらで行われるようです。

 先週、台風19号と20号が接近している頃、山口県を訪れていました。
私の夫が、以前仕事で大変お世話になった方の住む地元での「風鎮祭」(山口県美祢市秋芳町嘉万)
開催の情報をきっかけに、周遊も兼ねて巡る小さな旅となりました。

 こちらの祭は地元の恵比寿神社の「台風除け祈願」。
二つの台風が接近中のところを、皆さんの祈りが通じたのでしょうか。

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 お祭は、地域の交流を深める場としても欠かせない、大切な行事の一つですね。
たまたまなのか、NHKの番組取材が入りました。 予定されていたイベントも順調に運びます。
アットホームな雰囲気でしたから、よそから来た我々夫婦も楽しみましたよ。

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 今回は美祢(みね)市のほかに、萩市、長門市へ。 秋芳洞、萩の港や笠山からの景観、
元乃隅稲成神社、黄波戸温泉など、ほぼ初訪問のところばかり。萩焼や道の駅でのお買い物やお食事も楽しみました。
 写真ではスケールの大きさをすべてお伝えしきれませんが、二つの観光スポットをご紹介しましょう。


<秋芳洞> 
 日本最大のカルスト地形の秋吉台。その南側にある秋芳洞。日本の鍾乳洞では一番の大きさを誇ります。

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 洞内の温度は通年17℃だそうです。
夏場は特に、天然の涼しさが本当に心地よかったです。クーラーの冷やされ方とは違うんだな。
上着も持参しましたが、この日も暑かったため半袖で十分でした。

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 地下水がゆっくりと石灰の岩肌をとかし、数万年という歳月をかけてでき上がった自然美をいくつも見せてくれます。
その偶然が成した様々な形の鍾乳石にはそれぞれ名前が付けられており、より一層神秘的に思えます。

 鍾乳石の名所ごとに設置されたボタンを押すと、説明が流れます。日本語のほか、英語、中国語、韓国語に対応していますよ。

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黄金柱(4mはあるそうです。)


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「巌窟王」(がんくつおう)は、洞内の守り神のように存在していました。


 車椅子の方は、介助者と一緒に、正面入り口からしばらく進んで、一つ目の「百枚皿」の鍾乳石まで観覧できます。
この「百枚皿」は、洞内にまるで棚田が広がっているようで、なかなか見ごたえがありました。

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 このコースは同じ道を上りと下りで往復し、約一時間くらいかけて歩きます。復路でももう一度、
違った角度から見られる楽しみがあります。(下りのときはどうしても目線が足もとにいきがちですが。)

 正面入り口付近に戻ってきて「冒険コース」も体験しました。懐中電灯を持って岩肌を登ってみると、
上から眺める洞内の景色はこれまた神秘的。この洞窟の大きさ・広さは計り知れないことを感じます。
元気のある人は、折角ですからぜひ体験してみてください。(入洞料とは別途、希望者は備え付けの箱に+300円)

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<元乃隅稲成神社(もとのすみいなりじんじゃ)>
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 元乃隅稲成神社には白狐の神様が祀られています。
そして、奉納された123基の赤い鳥居と、青い空と日本海、緑の山々の色彩が鮮やかです。
山口県内では日本海の美しい風景をを臨める場所が多い中で、ここも名所の一つではないでしょうか。
ここに来られただけでもありがたいと思えるような、目の前に広がるのスケールの大きさに
またもや圧倒される思いがしました。
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この鳥居の下に、更に赤い鳥居が続き、くぐった先には・・・。


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空と海と山の景色が広がっています。

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 神社の開館時間は日の出から日没まで。
日が沈んだら、真っ暗な山道を車で下ることになってしまいますから、運転にはくれぐれもお気をつけて!




by nagomi-no-kaze | 2018-08-30 00:25 | マタサブロウ旅日記 | Trackback | Comments(0)

 

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頭ヶ島の白浜集落にあるこの教会堂は1919年に建てられました。
新上五島町出身の鉄川与助の設計による、石造教会堂です。
彼は数々の教会を手がけましたが、石造りはこの教会のみです。

ファサードの中央にある円形窓、八角形の銅版張のドーム屋根、
そして石積みによる外観が特徴とされています。山の中にある古風な教会の印象です。

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 ごつごつしたままの切石を積んで壁面を仕上げる方法は「ルスティカ様式」と呼ばれています。資金は限られていましたから、
石は海を渡った目の前のロクロ島の砂岩を切り出して使いました。ですから、石の表面はかなりザラザラとした質感でした。
当時島にいた石工とともに、人の手によって採石した砂岩をノミで削り、積み上げていく作業は気の遠くなるようです。
この教会堂は信徒たちの安らぐ場を作るという思いと実践により、十年という歳月をかけて完成しました。

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白浜海岸 眼の前にはロクロ島が見える



 パンフレットを読み、頭ヶ島集落のことを、日本史をもとに当時を振り返ります。

1549年 日本にキリスト教が伝来。
1614年 徳川幕府によって禁教令が発布。
1797年 大村藩と五島藩の間で百姓移住の公式協定が成立。
その後、迫害から逃れてきた潜伏キリシタンたちが五島列島にやってきます。

1854年 日本が開国。

1859年 人の監視を逃れるようにして移住してきた潜伏キリシタンたちが頭ヶ島に住み始めました。
ここは、縄文時代に人が白浜の海岸を使用していたことがその後の発掘調査から分かっていますが、その後は江戸時代まで無人島だったそうです。
自分たちの信仰心をこの地で守るために、彼らは未開の土地を開拓し、集落を形成していきます。

1865年 信徒発見。
1873年 禁教令の撤廃。
1887年 仮の聖堂として、最初の木造教会堂を建設。
1919年 現在の石造教会堂が完成。海岸近くにはカトリック墓地も作られる。


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 現在、五島列島には、信仰を貫いた信徒たちによる建設の教会が50以上、そのうち新上五島町には29の教会があり、
今もなお、信仰が守られています。

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       有川港からは、バスで約35分。(頭ヶ島教会行き)バス停の目の前に教会が見えます。
          地図上⑮が、頭ヶ島天主堂になります。


 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、
かつて日本でキリスト教が禁じられていた中で、長崎と天草地方において、日本の伝統的宗教や一般社会と共生しながら信仰を続けた
潜伏キリシタンの証となる遺産群12か所が挙げられており、頭ヶ島集落とこの天主堂も、その一つに選ばれています。
平成30年7月の世界文化遺産登録を目指しています。

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 現在でもミサや冠婚葬祭、祈りの場として使用されているため、堂内は撮影禁止。お見せできないのが残念ですが、外観とは対照的にパステルカラー調の、特に椿の花をモチーフにした花の装飾が施されていました。窓のステンドグラスは、赤黄青緑桃など明るい色調です。「花の御堂」と呼ばれるにふさわしい内装です。
聖母マリア像は白と空色の衣をまとい、お顔はとても美しく微笑をたたえていました。
静かな祈りが辺りを満たしていました。

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 見学には、事前連絡が必要です。
詳しくは、こちらをご覧ください。

教会群 インフォメーションセンター
https://kyoukaigun.jp/reserve/list.php


by nagomi-no-kaze | 2018-03-22 17:13 | マタサブロウ旅日記 | Trackback | Comments(0)

 九州の最南端、長崎県五島列島は、長崎港から西におよそ100キロに位置しているそうです。島の数はどのくらいあるのだろうと思って調べたら、
北東側から南西側にわたり、大小合わせて140あまりの島々からなるそうです。

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 遠方から飛行機でのアクセスも可能ですが、長崎県内の交通は船が便利なようで、ここ佐世保港からも、高速船やフェリーで行ける島があります。
これはチャンス!とばかり、港のターミナルにある二つの船会社の窓口で色々尋ね、検討すること約1時間。私の場合、日帰りで佐世保に戻ること(夕方に佐世保を出発し小倉へ戻るため)車の免許がなく移動に不便なことのどちらも非常に厳しい条件でしたが、探せば何とかあるものです。

 今回は佐世保から新上五島町の有川港へ向かえば、島に現存する天主堂の一つは訪ねることができそうでした。
一日の船の便数が少ないため、島内での滞在時間は約3時間半。
その天主堂が港から遠いのですが島内移動のバスに何とか乗れそうです。それにしても20分程の見学時間。迷っている暇はなく、行けるなら決めてしまおうと、
こうして、ようやく行き先が決まりました。

 往路は高速船で約100分。復路はフェリーで約2時間半。早朝でも時間が惜しいので、その組み合わせを選びました。
幸い、同じ船会社で済みましたが、船の種類が違うのでチケットは一括よりもそれぞれの港で買う方が安いと教えてくれました。

チケットは事前に電話やインターネットで予約ができますが、
その受付・お支払いは、当日船が出港する30分前からです。
島内の人は運賃割引適用があるため、島内か島外か、必ず尋ねられます。

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これに乗ります!


 高速船は速いのはよいですが、思った以上に揺れました。雑魚寝で寝てしまおうと思ったのは正解。それでも、昔、関東の神津島で、朝漁のジェットボートに乗せてもらった時の波乗りの揺れを思い出しました。
最初の1時間は何とか体を慣らすつもりで、決して抗わない。そして「起きたら島だった!」となるのが一番です。


 そして、到着した有川港ターミナルは綺麗でした。

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 1階に観光案内所で情報をいただいて周辺の散策もできました。
 ここは鯨と椿の島だったのです。

そういえば、館内には椿の苗木がそこここに置かれていました。
天井を見上げると、鯨の骨がかかっており・・・でっかい!



 バスの時間までに1時間はあったので、歩いていけた観光スポットはこちら。

<海童神社>
鯨の顎の骨を使った鳥居が有名です。これは初めてですね!
海上の安全を祈願する神さまが祀られています。参拝させていただきました。

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<鯨見山>

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江戸時代初期から捕鯨が盛んな頃は、「山見小屋」から有川湾内に鯨が来た事を知らせたり、
出漁の合図を送ることになっていました。
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有川湾では、明治時代まで捕鯨が行われていました。
中でも最高に捕れた年は、元禄11年(1698年)、83.5頭だそうです。
「鯨が一頭捕れると七浦が潤う」と、当時の繁栄ぶりが分かる記述が『江口家文書』に残されているそうです。


と、同時にここは今では、資生堂さんの椿園。
ブランド「TSUBAKI」のオイルに使用されているようですよ。
さすがに花の咲く時期は過ぎてしまいましたが、辺り一面、椿が植樹されていました。

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 さて、これから天主堂へ向かうため、バス停に行く前に、名物「五島うどん」屋さんを見つけました。
まだ準備中で、お昼に戻ってきて食べるつもりでした。たまたま、朝の物産展を開催していて、揚げたての「手作り鯨コロッケ」を買います。一個100円。
すると、お店の女性が、ひとつ穴が開いてしまって商品にならないから、よかったらこれも食べてねと
もう一つ入れてくれました。じゃがいもがホックホク。鯨は思ったより癖がなく美味しかったですよ。
(➡実はこのあと、お昼を食べ損ねる結果となり、この時の2個のコロッケが大変ありがたかったことは言うまでもありません。)
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             気に入りました!ごちそうさま!


by nagomi-no-kaze | 2018-03-20 19:49 | マタサブロウ旅日記 | Trackback | Comments(0)

佐世保へ行ってみよう!

 二月の長崎訪問に続き、今回は佐世保へやって来ました。
同じ九州、西へ移動してみると、さすが、北九州よりも陽射しが温かでしたよ。

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 元々は、夫の所用で決まっていた佐世保行きに私も便乗し初訪問でしたが、
3月17~18日の両日、ありがたいことに春の青空に恵まれまして、
海・山の、これまたいい景色、人の優しさに触れ、九州の良さをここでも実感です。
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 さて、佐世保駅は、JRの他に、第三セクター方式の松浦鉄道(MRの愛称で親しまれている)が走っています。伊万里、有田を通るなど佐賀へ向かっていくそうです。ホームで写真だけ撮りましたが、車掌さんが、「乗りますか?もう出発しますよ」と声をかけてくれます。(➡申し訳ないですね、乗りませんでした。)

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 駅近くを走る路線バス(西肥バス)がたまたま回送だったのですが、
行き先を示す電子案内版には、普通ならば「回送車」くらいのところ、
そのバスにはこのように表記されていました。
「すみません!回送中です」
謝っている表記は、初めて見ましたね。驚きました。(笑)


 そして、佐世保駅は、日本の最西端の駅であります。
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駅の前にはすぐ港が広がっています。港ターミナルは広く、ショッピングモール、ウェディングホールなども隣接。付近には、市場や商店街が広がっています。
佐世保バーガー店は、駅、港、商店街にいくつか見つけました。
やはり、ここへ来たら食べないと! 焼きたてのハンバーグパテは、香りも味もグッときます。大きくて食べ甲斐がありますね。
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   (2つは食べていませんよ。 
  スペシャルバーガー(右)と、夫が注文したスペシャルチキンバーガー(左) 
    中身まではよく見えませんね。)


ご当地グルメ洋食メニューには、レモンステーキ、ビーフシチューの文字をよく
見かけました。ここでは長崎牛なんですね。
それに、鮮魚の新鮮さはバツ群でしたよ。


 その他には、
今から100年以上も昔、明治40年の夏、5人の詩歌人が九州各地を旅し、新聞に
連載された『五足の靴』。 (今は、新潮文庫出版の本で読むことができます。)
以前、熊本篇で紹介したことがありましたが、
https://wafuu.exblog.jp/25753959/
ここ佐世保も「五足の靴」の訪問先の一つでした。
そのメンバーの一人、与謝野鉄幹が佐世保の街を詩に詠んで残しています。

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 こちらは、カトリック三浦町教会。駅のすぐそばにあります。
丘に建つ姿は青空にくっきりと映えて美しく、しばらく見とれてしまいました。

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 続きは、佐世保港から新上五島町へ。




by nagomi-no-kaze | 2018-03-19 22:19 | マタサブロウ旅日記 | Trackback | Comments(0)

12月23日(土) 熊本県宇城市にある、三角西港へ行ってきました。
熊本駅から「あまくさ号」という路線高速バスで約1時間の行程です。




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三角西港(みすみにしこう)
明治20年に開港。製鉄、製鋼、造船、石炭など日本の産業革命の中でも、
特に三池炭鉱の石炭をこの港で積み替えて、中国の上海などに輸出していました。

その築港に尽力した人々のお一人。
熊本県令(現在の県知事)であった富岡敬明氏の胸像が海を見つめていました。

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この港の役割も時代とともに衰退してしまいますが、
当時の施設がほぼ原形のままで残されていることから、
複数の歴史的建造物が、2015年に世界文化遺産に登録されたそうです。
その一部を写してきました。


<排水路>
満潮時に海水を引き込んで、干潮時に排水するように造られた溝から
この道路側溝を流れて天然の下水道としての役を担っていました。


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<石積埠頭>
港を計画したオランダ人の、ローエンホルスト・ムルドル氏が設計し、
日本人石工による技術と相まってこの埠頭が出来たそうです。
整然とした切石積みが大きな特徴。確かに美しいです。
全長は756Mにもおよぶとか。

このムルドル氏は、利根川・江戸川の改修に携わった方で、その後
日本政府から派遣されてこの三角港を設計施行したのだそうです。
現在も、このまま残っていることは素晴らしいですね。



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<旧三角海運倉庫>
明治20年築、土蔵造りの倉庫です。
昭和60年に修復されて、現在は、三角西港珈琲和蘭館として利用されています。

テラス席は海に面していて、三角岳を臨めます。橋の向こう側は天草へと繋がっているのです。

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このレストランで、熊本の合唱・古楽器アンサンブルグループ『葦』さんによる
クリスマスコンサートがありました。
この日は13名の編成で、合唱、演奏、舞踊ありの素敵なプログラムを楽しみました。

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福岡から参加の、中野博司さんと渡辺浩行さん。
中野さんとは、今年は二度共演させていただきました。
渡辺さんにもいつか朗読とご一緒していただけたら嬉しいですね。

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このコンサートのおかげで、三角西港を訪れることができました。
今回は日帰りでしたが、歴史的見どころも多い熊本へ また足を運んでみたいです。




by nagomi-no-kaze | 2017-12-27 23:00 | マタサブロウ旅日記 | Trackback | Comments(0)

柳川 川下り

先日、私の母が福岡を初めて訪れました。
柳川で川下りを!と母の希望があり、私も一緒に初めての水郷柳川を楽しんできました。
幸い、うす曇りの空でしたので暑くもなく雨にも合いませんでした。

柳川駅には「川下り」と「面凧」の展示、そして近所の保育園の皆さんの七夕飾りが彩っていましたよ。
「面凧」は、お正月の縁起物。日本の昔話「金太郎」の主人公、坂田金時がモチーフになっているそうです。


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江戸時代にあった柳川城の周囲を「川下り」としてめぐります。

「どんこ舟」は、一艘につき一人の船頭さんが、一本の竿で漕ぎながら、この辺りの説明をしてくれながら、
ゆら~っと進んでいきます。約70分のコースです。

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途中、煉瓦造りの倉や、古文書館、市役所や小学校、テニスで有名な柳川高校(松岡修造さんも通っていた)
文学碑やうなぎの供養塔もありましたね。
このお方は、田中吉政公の銅像。この水路を作った人だそうです。
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昔はこの「どんこ舟」に乗って月を眺めながら宴を楽しんだり、舟の競争が繰り広げられたり、
人びとの暮らしの中で遊びとして親しまれていたそうです。それが現在の「川下り」となったのは、
昭和にはいってからのことでした。

ここ柳川は、詩人 北原白秋の故郷。
そして、その少年時代を描いた、同じく柳川出身の小説家、長谷川健原作の『からたちの花』が
昭和29年に映画化されたそうです。その撮影で、柳川の風景が映ることになりました。
「あの舟遊びを!」との多くの声が寄せられて、地元ではもてなしとして「川下り」が始まったのだとか。

今では観光には欠かせませんが、結婚式や、季節を愛でるお祭り(例えば「お雛様水上パレード」等)
にも「どんこ舟」は大活躍です。
ところが、現在、船頭さんの数は年々激減。特に若者のなり手が減ってしまったのですね。
早期退職もなくなって、現役最年長は80代の船頭さんもいらっしゃるのだとか、舟の上で話してくれましたよ。


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いくつもの橋をくぐり抜け、船頭さんの歌う白秋の童謡を聞きながら、流れのままにたそがれる時間。
気持ちの良い時間でした。

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デイゴの花が咲いていました。

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by nagomi-no-kaze | 2017-06-29 17:26 | マタサブロウ旅日記 | Trackback | Comments(0)

 今回の旅路は長い距離に加えて心配ごとが沢山ありました。
特に治安、ジカ熱については渡航前の注意事項も多く、周囲から心配されました。
ですから、大きな問題もなく無事に帰国できたことはホッとしました。


色々と考えて、今回、ブラジルの方々に大変親切にしていただいたことを書こうと思います。
オリンピックというお祭り最中ではありますが、出会った人に対して不愉快に思ったことがありませんでした。
それはブラジル人の気質で、普段通りに接してくれたのではないかしら?と思いました。
 閉会式で、ボランティアの方々に対して感謝を伝えたIOCのトーマス・バッハ会長の言葉に、
「あなたたちの笑顔がわたしたちの心を明るくしてくれた。」とありました。
これはその通りで、外国人にとっても本当に有難いことです。
 どこにおいても同じように、リオでもボランティアの方々はとても頼りになります。
道で、駅で、会場で、時には暗い夜道にも立っていてくれている。そのユニフォームを見ればまさに灯のような存在です。
皆さんが英語を話せるわけではありませんが、何とか身振り手振りで教えてくれたり、
困ったときは英語のわかる人を連れてきてくれます。


 私たちは、宿泊のホテルからバハ地区の会場までの道のりを幸い徒歩で行くことができましたが、
オリンピックパークの会場まで約30分。もう一か所、リオセントロの会場までは更に30分先にあり、
十分に歩かねばならない距離でした。
マラカナ地区の会場へは、BRT(路線)や地下鉄など公共交通機関を利用しました。

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 私たちは外に出て迷ったら納得するまで確認します。そこで、地元の方々に聞いてお世話になります。
二日目の朝の、バハ地区のリオセントロの会場へ卓球を観に行く時のことを振り返ります。

 前日に全ての行程を歩いていた私たちは、バスを利用してもう少し早くたどり着けないだろうかと思いました。
そこでツアーデスクの担当に相談すると、会場近くまでバスで行けるルートが、あるにはあるとのことでした。
バスを利用するためには、Rioカード(デポジット式)を手に入れる必要がありました。
さて、ここから、約10人の方にお世話になったのです。

駅の改札より手前で警備員のお兄さん :Rioカードは本来なら休日は販売休止であることと、今日は反対側の売り場なら売っていることを教えてくれる。
駅付近でおじさん:①で言われた通り歩道橋を渡るため一緒に渡って道案内をしてくれる。不安そうな私たちに、「片側だけで販売しているなんておかしいね。」と言って励ましてくれる。
駅の改札で、ボランティアの若い女性:チケット売り場で英語通訳をしてくれて、Rioカードを買い、使い方も教えてくれる。


バス停へ。既にそこにいたおじさんとおばさん:このバス停にはバスが止まらないと判断した二人は、我々にもそのことを伝え、次のバス停を勧め、「一緒について来なさいと言ってくれる。」⇒この後、別れる。
交差点で警察官:英語は通じないが何かを伝えようとしてくれる。あとから考えると、彼はこの時こう言っていたのだろう。「今日はバスは止まらない日だよ。」

同じ交差点で若いカップル:英語が分かる女性が「会場への行き方を一緒に考えてあげる。」と言い、私たちを違うバス停に連れていってくれる。
しかし、ここでもバスは来なかった。
カップルの二人はこの後別のところへ行かねばならなかった。
女性が近くで交通整理をしているおじさんに声をかけ、私たちの状況を話し、
おそらく、タクシーをつかまえてくれるように頼んでくれたのだろう。

バス停の目の前で、交通整理をするおじさん:誘導する車の運転手に、私たちのことを話し、同乗させられるか聞いてくれる。なんと、一般の乗用車を止めて、私たちを乗せることを頼んでくれたのだ!

同じ場所で、女性ドライバー:即答でOKし、私たちを乗せてリオセントロの会場へと連れて行ってくれる。英語がわかる女性で、仕事に行く途中だったのにナビを変更して快く運転してくれる。
会場付近でガードマンその1:運転手の女性が、会場内のパビリオンへの入り口を聞くと、うまく誘導してくれる。(パビリオンは複数ある。)

パビリオン付近でガードマンその2:急ぐと思ったのか、交通規制の為に置かれたパイロンをどかして、車を通してくれる。


これらの方々の親切に助けられ、私たちは目的のパビリオン3に一番近いところに到着し、観戦する試合時間に間に合ったのでした。

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皆さん、本当にどうもありがとう! オブリガーダ ♡



by nagomi-no-kaze | 2016-08-29 17:29 | マタサブロウ旅日記 | Trackback | Comments(0)

ブラジルでの公用語はポルトガル語で、「Obrigado」オブリガードは「ありがとう」の意味です。
この言葉を交わす度に、私もいつしか緊張がほぐれて楽しく過ごすことができました。

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          (部屋からの眺め 朝6時過ぎたころ)

<ありがとうの連呼>
 日本語では元々「有り難し」という言葉から「ありがとう」への説が有力ですが、
一方では、ポルトガル語から日本語へ またはその逆で日本語からポルトガル語へ伝えたという説も
あるのだとか。真相はわかりませんが。
 さて、現地で驚いたことの一つに、ブラジルの方々と道ですれ違う時に、あれは日本人だと思うと彼らから迷いもなく発せられるのは「コンニチハ」よりも「アリガート」の言葉。
そして、こちらも「ありがとう」と返すと、それはもう嬉しそうに、表情がはしゃいでいます。
それは、言葉が通じた!反応があった!ときの気持ちで「ヤッター!」みたいな感じと言えばよいでしょうか。
 面白いものですね、「ありがとう」がこれほどまでに知られているなんて。本当にいい言葉です。
ですから私たちも「ありがとう オブリガード *(ダ)」を必ず返すことにしました。 *女性語ではObrigada

<写真>
会場ではお互いに写真を撮りあったりすることはよくある光景です。
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ブラジル人との一番面白かったエピソードもこれでした。
まず、
①「一緒に写真を撮ろうよ!」と、どこからでも気さくに声をかけてくることです。
次に、
②誰でも構わずに目にとまった人に声をかけてカメラを渡し、「撮って!」と頼みます。
その動作が早いことに驚きますよ。私なんかは、「どの人に頼もうか?」と、信頼のおけそうな人とか、写真を撮るのが上手そうな人とか、一瞬でも何かこう考えるなと思うのですが。
ブラジル人は迷いません。そして、頼む人を疑いません。
それから、
③「「横」だけじゃなく「縦」もね!」と、撮影者に必ず念を押します。
そして、ポーズですが、
④一緒に映る私たちを囲んで、必ず腕を肩にまわして組みます。
これは以前にも思ったことがありましたが、今回で明確になりました。
何だか、これでもう友達ね、と言われたみたいな感じです。
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そんなこんなで最初の二日間、紋付き袴と着物姿だった二人は、ブラジルの方々に歓迎されて随分モテました。できるだけ私のカメラでも撮ってもらおうとしたのですが、そうしていると段々間にあわなくなりました。
歩いていてすれ違うと、声をかけてくれて笑みを交わしたり短い会話をしたり、
一緒に写真撮影を次々に繰り返し、その数、120人は下らないと思います。


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 一般のお客さんだけではありませんでした。オリンピックスタッフとしてボランティアで会場案内する方や、ガードマンの方、フードコーナーで働く方、バスの運転手、等様々に。
暑い中も風が強くても笑顔で、ほとんど立ち仕事なのでしょうが、そんな中でも寄って来て「写真一緒に撮ろうよ!」と声をかけてくれました。

頑張る皆さんにとって長い一日の、ほんのひととき、「今日は日本人と撮った!話した!」という思い出になれば、
それは嬉しいことだと思いました。

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by nagomi-no-kaze | 2016-08-29 13:37 | マタサブロウ旅日記 | Trackback | Comments(0)

リオデジャネイロ。日本との時差は12時間。
地球の裏側で行われている競技をLIVEで観続けるのはなかなか大変ですが、
印象に残る試合の数々、熱戦が繰り広げられた17日間も終わり、閉幕しました。
日本は前回のロンドン五輪よりもメダル取得が
好成績となりましたが、全ての選手たちの活躍に拍手を送りたいですね。


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ところで、4年に一度の夏のオリンピックに観戦に行くことは、我が家の大イベントです。
旦那さんは開催地アトランタ大会から、そして、次のシドニー大会から私も同行。
それからアテネ、北京、ロンドンと続き、今回はこれまでで一番遠いリオデジャネイロへ。
私たちにとっても初の南米大陸への渡航でした。


エミレーツ航空でドバイを経由し、2,3時間と乗継ぐ時間は短いものでした。
リオデジャネイロまでのフライト時間を合計だけでも24時間です。
飛行機を降りる頃には靴が履けず、両足ともにパンパンで、治らないかもと心配でした。
「4泊8日の旅」と聞けば、その遠さは分かっていただけるかなと思います。


リオの気候は、日中の陽ざしを除けば、秋の涼しさでした。夜はとても冷ややかです。
ですから、帰国後の九州は連日の猛暑が体に厳しく、日光に当たるのが今も辛いです。
そしてちょうどその頃、日本のメダルラッシュが続いてTVを観てしまいました。
体内の時差調整が完璧ではなく、疲れが残っているのか、本来の自分の体に
戻っていない感覚が今も続いています。


さて、私たちが観戦した試合です。
今回は、それぞれの会場が離れているため行き来が難しく、ひとつの地区で観られる競技をまとめました。
<>は出場した日本選手名。

8月12日 バハ地区
・柔道 女子78kg超級・男子100kg超級 予選・決勝
 <山部佳苗選手 銅メダル、原沢久喜選手 銀メダル>
・バドミントン 男子・女子シングルス&ダブルス予選、混合ダブルス予選

8月13日 バハ地区
・卓球 女子団体準々決勝 イタリアvsシンガポール、ドイツvs香港
(夜)日本vsオーストリア<石川佳純選手、伊藤美誠選手、福原愛選手>
・女子3m板飛込 準決勝

8月14日 マラカナ地区
・女子マラソン <福士加代子選手、伊藤舞選手、田中智美選手>
・女子バレーボール予選 イタリアvsプエルトリコ、アメリカvs中国
・陸上 男子走り高跳び予選、女子400m準決勝、女子三段跳び決勝、女子1500m準決勝、
    男子100m準決勝<山縣亮太選手、ケンブリッジ飛鳥選手>男子400m決勝、男子100m決勝

8月15日 バハ地区
・女子水球 準々決勝 ロシアvsスペイン の試合を途中まで。

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各国の応援も様々で、団結している国々もあって面白いですよ。
まず、中国は「赤」、オランダは「オレンジ」、ブラジルは「黄色と緑」、フランスは「トリコロール」等のお国柄が表れる服装でまとまって席にいるので目立ちます。
それにかけ声も揃っていて、その声は選手たちにとって大きな励みになると思います。
ブラジルは種目が何であれ、「オーレ!オレ、オレ、オレ♪~」(サッカーだけじゃないんだ。)
中国はご存知、「加油~!」ジャーヨー!⇒Fight!の意味。
アメリカもご存知、「U.S.A U.S.A!」 等々。

それに比べると、日本はそれぞれの場所でかけ声が「ニッポン!」だったり、選手名が飛び交ったり。もちろん悪くはありませんが、どちらかと言うと統一感はなくパラパラ、声が散ってしまう感じがします。
次の東京開催においては、日本の応援の仕方も変わるといいかなと期待します!

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それでは、引き続き、リオ五輪に関する話題をお届けします!
by nagomi-no-kaze | 2016-08-24 17:20 | マタサブロウ旅日記 | Trackback | Comments(0)

大分に行ってみよう!

引越した直後のこと、テレビの旅番組で
大分県にある「くじゅう高原」の情報を見ました。
地元の人が「秋には特に人が沢山来ちゃうから、あんまり放送しないで!」とコメントするほど、
季節ごとに自然の風景が素晴らしいのだそうです。

こんなことを聞いてしまったら、行かないはずがないじゃない!

秋がやって来たのでそろそろ行ってみようかと、旦那さんと一緒に
高速バスとカーシェアリングを利用して向かいました。

とはいえ、大分といえば、温泉も楽しみたい!名物の鶏天も食べたい!
まずは別府に降りて、どちらも楽しみました。 最高です!
そうです、温泉たまごもね!
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お食事処にあった、別府の文字がこんなお洒落に!
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さて、大分から車を借りて、くじゅう方面に順調に向かいますと、
「夢の大吊橋」の看板を発見!
長さ390M 一番高いところで170Mだそうで、日本一の吊橋だそうです。
ここを渡るには有料(往復して500円)ですが、
橋の上から見られる、紅葉し始めた山の色彩と、三本の滝。一見の価値ありです。

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大吊橋の詳しい情報はこちらをどうぞ! 橋の全景も見れますよ。
http://www.yumeooturihashi.com/index.html



くじゅう高原の周辺にも多数の温泉があります。
自然を愛でる、楽しめるところでした。

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今回、湯坪温泉付近にある「小さなお宿 叶館」にお世話になりました。
一日に2組の予約とのことでしたが、急なキャンセルで、私たちは貸し切りとなりました。
露天風呂も含めて3つの温泉があって、それぞれの趣を楽しみました。いいお湯です。
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朝は窓の景色が見えるので、お山を見ながらの朝食でした。
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翌日は11月。朝の冷え込みはさすがに厳しく、冬の訪れを迎えた気分でした。
お宿の女将さんは、「温泉があるから、やっていける」と笑っていましたが、
これから始まる冬の寒さとは3月までは共存だそうです。 雪も積もるそうですよ。

このお宿のお庭には、立派な木があって、最初は一本かと思ったら、夫婦のようでした。
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季節ごとにお花が楽しめて、向こうに見える山並みと湯けむりの風景は、
忘れかけていた何かを思い出せるような気がして、ずっと見ていたい光景でした。

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by nagomi-no-kaze | 2015-11-04 21:36 | マタサブロウ旅日記 | Trackback | Comments(0)