石炭の記念館を訪ねて その3(福岡県田川市・鞍手町)
2018年 05月 09日
色々と調べを続けているのですが、九州地方は昔から炭坑の数が多かったことから、
福岡県内にある記念館や博物館の展示のおかげで、私も、石炭産業の仕事や歴史について知ることができました。
どちらも、(その1)で訪ねた直方市と隣接している地域です。
筑豊地方と言いますが、この辺りにある山沿いや遠賀川流域には多くの炭坑の坑口がありました。
そして、直方市の記念館にもありましたが、山本作兵衛氏による炭坑記録画の所蔵があるのも特徴です。
山本作兵衛(1892~1984)は、労働者としての体験ある方でしたが、依頼を受けて、
明治中期~昭和戦中期までの筑豊の炭坑の仕事と実生活を描いた炭坑記録画を描き、
絵とともに解説文を書き込む形で大変貴重な資料です。その他、日記なども数多く残されました。
それらが627点が、ユネスコ世界記憶遺産に登録されています。
屋外には、炭坑住宅(ハモニカ長屋)の再現や、炭坑で実際に使用されていた大型機械類の展示、
石炭運搬に使用された蒸気機関車がありました。
旧三井田川鉱業所伊田竪坑櫓
旧三井田川鉱業所伊田竪坑第一・第二煙突
鞍手町(くらてまち)には、江戸時代から昭和40年代までの約300年にわたる石炭の歴史があるそうです。
その当時の農村風景の写真展示とともに、石炭について、実際の現場についての資料を見ることができます。
外観のかまぼこのような形の入口。この自動扉が開くとそこは坑道の中といった作りの展示場です。
とはいっても、隙間から外の光が入り込んでいるため、暗闇とはいえないのですが、
展示場の中は人がいないので、一人で見学していた私はうろたえてしまって、
あとでわかったのですが、自動扉が開いてから15分そのまま経過すると自動消灯になるようでした。ご注意を!
(入口のほうに書いていてほしかった!!)
(ある意味、坑道内にこの身を置かれた体験をしたことになりますかしらね。)
かつて、坑夫たちの採掘・運搬の仕事は、坑内で暗闇や落盤、石炭から自然発生するガスなどの恐怖と戦いながら、
毎日、毎度、命がけであったことを、今回の作品やこれまで読んだ資料などから、いっぺんに思い起こされた一瞬でした。
周作らの生活は、ちょうど、たて坑を掘っているようなものだった。
彼らは、働いても働いても、地の底に沈んで行くばかりだった。かせいでも、かせいでも、地上の光から遠ざかって行くだけだった。周作はそれを思うと、ときどき涙ぐんだ。が、地の底におりればおりるほど、彼は一層地上の光がなつかしかった。
あの明るい、広い、自由な光をどうにかして捕まえたいと、あくせく働いた。しかし、どんなに手をのばしても、
どんなに背のびをしてみても、とても手のとどく距離ではなかった。彼の周囲は右も左も、前もうしろも、ただつめたい
岩と土だけだった。のぼるにしては、あまりに高い絶壁だった。―山本有三/作 小説『生きとし生けるもの』「周作」より―
5月18日・19日に、三鷹市山本有三記念館(東京都三鷹市)春の朗読コンサートにて読ませていただきます。
by nagomi-no-kaze | 2018-05-09 00:55 | あなたも行ってみませんか? | Trackback | Comments(0)