頭ヶ島(かしらがしま)天主堂 ~新上五島町~
2018年 03月 22日
新上五島町出身の鉄川与助の設計による、石造教会堂です。
彼は数々の教会を手がけましたが、石造りはこの教会のみです。
ファサードの中央にある円形窓、八角形の銅版張のドーム屋根、
そして石積みによる外観が特徴とされています。山の中にある古風な教会の印象です。
ごつごつしたままの切石を積んで壁面を仕上げる方法は「ルスティカ様式」と呼ばれています。資金は限られていましたから、
石は海を渡った目の前のロクロ島の砂岩を切り出して使いました。ですから、石の表面はかなりザラザラとした質感でした。
当時島にいた石工とともに、人の手によって採石した砂岩をノミで削り、積み上げていく作業は気の遠くなるようです。
この教会堂は信徒たちの安らぐ場を作るという思いと実践により、十年という歳月をかけて完成しました。
白浜海岸 眼の前にはロクロ島が見える
パンフレットを読み、頭ヶ島集落のことを、日本史をもとに当時を振り返ります。
1549年 日本にキリスト教が伝来。
1614年 徳川幕府によって禁教令が発布。
1797年 大村藩と五島藩の間で百姓移住の公式協定が成立。
その後、迫害から逃れてきた潜伏キリシタンたちが五島列島にやってきます。
1854年 日本が開国。
1859年 人の監視を逃れるようにして移住してきた潜伏キリシタンたちが頭ヶ島に住み始めました。
ここは、縄文時代に人が白浜の海岸を使用していたことがその後の発掘調査から分かっていますが、その後は江戸時代まで無人島だったそうです。
自分たちの信仰心をこの地で守るために、彼らは未開の土地を開拓し、集落を形成していきます。
1865年 信徒発見。
1873年 禁教令の撤廃。
1887年 仮の聖堂として、最初の木造教会堂を建設。
1919年 現在の石造教会堂が完成。海岸近くにはカトリック墓地も作られる。
現在、五島列島には、信仰を貫いた信徒たちによる建設の教会が50以上、そのうち新上五島町には29の教会があり、
今もなお、信仰が守られています。
有川港からは、バスで約35分。(頭ヶ島教会行き)バス停の目の前に教会が見えます。
地図上⑮が、頭ヶ島天主堂になります。
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、
かつて日本でキリスト教が禁じられていた中で、長崎と天草地方において、日本の伝統的宗教や一般社会と共生しながら信仰を続けた
潜伏キリシタンの証となる遺産群12か所が挙げられており、頭ヶ島集落とこの天主堂も、その一つに選ばれています。
平成30年7月の世界文化遺産登録を目指しています。
現在でもミサや冠婚葬祭、祈りの場として使用されているため、堂内は撮影禁止。お見せできないのが残念ですが、外観とは対照的にパステルカラー調の、特に椿の花をモチーフにした花の装飾が施されていました。窓のステンドグラスは、赤黄青緑桃など明るい色調です。「花の御堂」と呼ばれるにふさわしい内装です。
聖母マリア像は白と空色の衣をまとい、お顔はとても美しく微笑をたたえていました。
静かな祈りが辺りを満たしていました。
見学には、事前連絡が必要です。
詳しくは、こちらをご覧ください。
教会群 インフォメーションセンター
https://kyoukaigun.jp/reserve/list.php
by nagomi-no-kaze | 2018-03-22 17:13 | マタサブロウ旅日記 | Trackback | Comments(0)