「月光の夏」とフッペル社製のピアノ
2017年 08月 16日
8月15日は終戦記念日。日本中で戦没者追悼行事が開催されていました。
報道では「次世代へ繋ぐ」という言葉をよく耳にしましたが、
戦争体験されて今を生きる人たちの想いを知り、心に留め置く必要があると思いました。
当時の悲惨さはどういうものだったのか? これについて目をそむけてはいけない。耳をふさいではいけない。
もしこれを忘れてしまったなら、いつかまた歴史は繰り返してしまうことでしょう。
ところで、『月光の夏』(毛利 恒之/原作)の話をご存知でしょうか?
太平洋戦争末期の九州での実話をもとに創作した小説です。
その後、1993年 映画が公開されました。(監督/ 神山 征二郎)
昨夏、とある朗読会でこの作品に触れた折、私はその話をよく知らずに聞きました。
日本が敗色を挽回しようとして特攻隊による攻撃を始めており、そのために
多くの若者がその犠牲になってしまったこと、また、帰還した兵士たちが収容された
「振武寮」の存在を知ることになり、それらの事実に愕然としました。
そして、この話に登場するピアノがある、その場所を訪れてみたいと思いました。
サンメッセ鳥栖(佐賀県鳥栖市)
1階ロビーに設置されているこのピアノは、
元は鳥栖国民学校(現在の鳥栖市立 鳥栖小学校)にありました。
鳥栖にやって来たのは1930年(昭和5年)のこと、
子どもたちに良い音楽を聴かせたいと、鳥栖市の婦人会、多くの市民による寄付により購入されたそうです。
セミコンサート用のサイズですよね、当時、外国製の舶来のグランドピアノは大変珍しかったことでしょう。
これはドイツのフッペル社製のもので、国内に現存するのはこの楽器を含めて3台のみだそうです。
ドイツの町工場での製作で大量生産ができなかったこと、第二次世界大戦中、ヒットラーにより
フッペル社の工場は壊されてしまったことなどから、今では大変貴重なピアノです。
1993年公開の映画「月光の夏」から、この楽器のことも全国的に知られるようになりました。
そして、フッペル社があったドイツのツァイツ市と鳥栖市は姉妹都市となったそうです。
鳥栖市では、毎年、8月15日には、平和の祈りをこめてピアノコンサートを。
また、「フッペルピアノコンクール」が毎年開催されているそうです。
この、サンメッセ鳥栖のロビー会場にて、
第11回 フッペルと共に ~ フッペルが奏でる平和への願い2017 ~ を聴きました。
ここでは、必ず、ピアノソナタ第14番嬰ハ短調 作品27-2「月光」(ベートーヴェン作曲)全楽章が演奏されます。
今年の奏者は、県立鳥栖高等学校1年の男子学生、古澤 晃希さん。 思いのこもったとても素晴らしい演奏でした。
『月光の夏』では、このようなシーンがあります。このピアノの存在を知ったふたりの特攻隊員が小学校を探し当てて訪れて、
「翌日出撃すれば生きて戻ることはない、今生の思い出に、どうかピアノを弾かせてください。」と申し出ます。
その時に対応された当時の音楽教諭が持っていた楽譜が、「月光」でした。
ひとりの隊員は、全楽章を思いきり演奏しました。 もうひとりの隊員は、そこに居合わせた子どもたちが
自分たちのために歌ってくれる「海ゆかば」の伴奏を担いました。
事実、このピアノが戦時中をくぐりぬけ、その後、修理と調律を時間をかけて行われて保存され、今に至っていることに、
大きな意味がありました。
コンサートにおいて「月光」の演奏のあとは、希望者によるピアノ演奏がありました。
5歳の園児から高校生まで12組の応募があり、次々に演奏を披露。 1曲 3分以内での演奏、自由な選曲、表現。
微笑ましい演奏もあり、緊張からほぐれたひとときとなりました。
ここでいつでも見ることができます。 希望すれば、短い時間でしたら弾くこともできるそうです。
コンサート終演後は、映画「月光の夏」の上映会があり、私も見ることが叶いました。
映画でもこのピアノを使用しており、隊員が演奏する「月光」の曲にどうしても感情移入してしまうのですが、
平和への祈りをこめて見入っていました。
映画のタイトルの書になりました。
小説『月光の夏』は、汐文社 または 講談社文庫 から出版されています。
映画「月光の夏」も、機会がありましたら、ご覧になってみてください。
by nagomi-no-kaze | 2017-08-16 22:34 | 道しるべ(私が出会った作品) | Trackback | Comments(0)