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紫川にまつわる和歌とお話

小倉城に近い、「リバーウォーク北九州」は、
この地域を流れている紫川の川沿いにあります。
http://riverwalk.co.jp/information/about1/

 7月1日の朝、通る道すがら、たまたま入ったスタバはまさにOpenしたところでした。
わたしには珍しく、ちょっと一息のつもりで得た朝の貴重な時間です。
大きなガラス張りの明るい店舗で雰囲気も良く、
城の石垣のあるこのような景色を眺めながらコーヒーを飲める居心地の良さを感じていました。

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 すると、New Openだからなのでしょう。女性の店員さんが私に話しかけてきてくれました。
それはお店のデザイナーさんのアイデアのお話でした。
お客様が座った位置からそれぞれに、窓の外の景観を楽しめるように
配置や、床をわずかに傾斜して椅子に座る高さに工夫されていることを聞きました。
加えて、店内の大きな柱に描かれた植物の絵には菱の実とその花が描かれていることも。
その菱の実のことについて、店内のボードに店長さんのコメントがありました。
万葉集の和歌とともに書かれた内容に興味を持ちました。

その和歌とは、
豊国(とよくに)の、企救(きく)の池なる、菱(ひし)の末(うれ)を、摘(つ)むとや妹(いも)が、み袖(そで)濡(ぬ)れけむ


ネットで調べると、 和歌についての内容が見つかり、歌の意味はこのようなものでした。
「豊国(とよくに)の企救(きく)の池にある菱(ひし)の先を摘もうとして、あなたは袖を濡らしたのですね。」


 豊国(とよくに)は、現在の福岡県・東部と大分県を含む地域と考えられており、小倉も十分範囲内です。
歌枕として詠まれた「企救(きく)の池」は、今では存在しないそうですが、
小倉南区蒲生のお寺(大興善寺)の「紫池」のことを指すのではないかと言われているそうです。
この紫池は、リバーウォーク北九州の前を流れる「紫川」の名前の由来の一つではないかということも書かれていました。    「紫川」
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 昔、紫川は川の水が汚れていたとよく聞きますが、わたしはこの状態になった紫川しか知りません。
今では魚も住める環境になり、川の上を鳥たちも飛び交うのをよく見かけます。


<「むらさき川」のお話>
四月に、この紫川の川沿いにある小学校で高学年にお話した「むらさき川」。
これは川にまつわるお話でした。以前にも、この本はご紹介しましたね。
出典の『北九州のむかしばなし』((財)北九州市芸術文化振興財団 発行)によると、
「むかし、むらさき川は企救川(きくがわ)と言っていました。」と、お話が始まります。
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お話を少しご紹介しましょう。
 企救川のほとりにあった漁師の村が、ある日、玄海に住む海賊によって荒らされてしまう。
漁師の若者が、村の再興のため、川上の山に住む男をたずねる。
山の里で取れた食べ物を川上から流してもらうことを頼んでみようと思ったのだった。
 道中、若者は偶然に山の娘ムラサキと出会う。ムラサキは川上の山の男の妹だった。
若者の話を聞いたムラサキは、「兄に相談しても殺されるだけだ。」と言う。
そこで、ムラサキが兄に懸命に頼んでみたところ、最初は承諾しなかった兄もやがて一つの条件を出す。「ひと月以内に、鯛百匹を持参するように。」しかし、これは険しい山路を考えても無理難題であった。
 山の娘ムラサキは、漁師の若者を励まし、想いを込めてアイゾメの木の実を毎日川に流すことにした。この企救川が紫色に染まっている間は、ムラサキが若者の成功を祈って待っているのだ。
しかし、若者が志半ばで、運悪く荒波にのまれてしまったことも知らずに、ムラサキは木の実を流し続ける。このことを知った川沿い人々は、川を「紫川」と呼ぶようになったというお話。

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by nagomi-no-kaze | 2016-07-05 16:14 | 道しるべ(私が出会った作品) | Trackback | Comments(0)  

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